アエラにて好評連載中の「ニッポンの課長」。
現場を駆けずりまわって、マネジメントもやる。部下と上司の間に立って、仕事をやりとげる。それが「課長」だ。
あの企業の課長はどんな現場で、何に取り組んでいるのか。彼らの現場を取材をした。
今回は下鴨茶寮の「ニッポンの課長」を紹介する。
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■下鴨茶寮 本店料亭部 調理課課長・料理長 明石尚宏(30)
庭にある井戸に手を合わせ、京野菜などの下ごしらえから仕事が始まる。農家から仕入れた大きな堀川ごぼうやえびいも、聖護院かぶら、色鮮やかな金時にんじん、万願寺とうがらし……。それぞれの風味や旨みを引き出し、美しく盛りつける。
高野川のほとりに立つ数寄屋造りの下鴨茶寮は、1856(安政3)年の創業。下鴨神社の包丁人として仕えた由緒ある料亭で、2年前に小山薫堂が経営を受け継いだ。料理長の明石尚宏は、料理人たちを束ね、腕をふるう。
中学3年のとき、明石は難病を発症し、車いす生活を余儀なくされた。手術を受けて2カ月入院。この試練は厳しかった。
「性格も人生観もすっかり変わりました。いつ死ぬかわからないなら、好きな道に行こう。そう決めました。生き急ぐ感じでした」
子どもの頃から料理が好きだった。だから、おかやま山陽高校調理科へ進学した。フランス料理のシェフを目指すつもりだったが、
「日本人なら日本料理だ。やるなら京都だ」
と思い、下鴨茶寮に就職。その後、各地のホテルで修業を重ねていると、2年前、先代の女将から電話があり、料理長を任された。
「チャンスと思いました。がんばる自信はあります。でも、おいしい店で仕事のできる人を見ると、憧れるのと同時に悔しさがこみ上げます。まだまだ勉強することは多い」
下鴨茶寮でおいしいのは当たり前。課題は、流れや満足感をどう演出するか。
「薫堂さんはサプライズ好き。例えば、懐石料理の釜炊きの白いご飯が残っていたら、『お代わりしますか。それとも……』と、シメに牛とじを出します。九条ねぎと牛ロースをスライスし、八方だしでしゃぶしゃぶ風にして、とき卵をのせ、山椒をパラパラ……」
鳥のさえずる頃に起床して仕入れに向かう。ご馳走をつくるため、今日も走る。(文中敬称略)
※本稿登場課長の所属や年齢は掲載時のものです
(ライター・西元まり)
※AERA 2015年1月12日号