

2年前に、29年間身を置いた歌舞伎界を離れ、名前も新たに新派に移籍した河合雪之丞さん。美しくたおやかな佇まいの女方として、人々を魅了し続けています。新派移籍の理由から、芝居に向き合う姿勢、女方の究め方まで、新派好きの作家・林真理子さんが迫ります。
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林:雪之丞さんは、国立劇場の歌舞伎俳優の研修所を出て歌舞伎の世界に入られて、2年前に劇団新派に移られたんですね。私、新派の波乃久里子さんとわりと親しくさせていただいてまして。
河合:新派の舞台、けっこう見に来ていただいてますね。
林:はい。このあいだは「京都 都大路謎の花くらべ」を拝見しました。雪之丞さんが新派に移ったときの舞台も拝見しました。
河合:「華岡青洲の妻」でした。
林:あのときの口上も覚えてます。水谷八重子さんと波乃久里子さんが「このたび歌舞伎から私たちの王子さまが来てくださいました。こんなうれしいことはありません」とおっしゃって。
河合:ハハハ、そういえばそんなことをおっしゃってくださいました。
林:歌舞伎では若手の美貌女方としてとても人気がありましたが、歌舞伎から新派に移るというのは、すごい決心でしたか?
河合:歌舞伎に約30年いましたが、苦渋の決断というわけではなくて、新派をやってみたいという気持ちのほうが強かったと思いますね。新派って女優さんのもので、そのころ女方さんは英(はなぶさ)太郎さんだけでした。新派は歌舞伎の素養や日舞の素養が必要とされる演劇で、“和の間”が必要になります。自分が30年やってきたことが新派のお客さまに提供できるのではないかと考えましたし、女方新派というものにもう一回新たな息吹を、という気持ちもありました。
林:それは誰かに口説かれたというわけではなく?
河合:口説かれたわけではなくて、私は歌舞伎に在籍していたころから新派公演に出ていたんです。市川春猿の名前で。
林:そうなんですか。
河合:「新派やってみませんか」と言われて、最初にやらせていただいたのが「滝の白糸」で、それから「葛西橋」とか「婦系図」とか、いろいろやらせていただく中でそういう気持ちになったんですね。