青木:「俺、アメリカに行きたい」と妻に言ったら、「英語できるの?」って言うから、「できないけど、おまえがいるじゃないか。行こう」って言ったんです。娘が日本に来たのは10歳のときかな。いちばん親がいなきゃいけない時期に二人でアメリカに行っちゃったから、娘には借りがあるんですよ。だけど、「ごめんね」っていろいろやってあげてるから、今は少しは満足してるんじゃないかな。
林:奥さまは再婚で、お嬢さんがいらしたんですね。ご本(『青木功 プレッシャーを楽しんで』)を読みましたけど、娘さんが初めて「お父さん」と呼んでくれたときのお話なんか、感動的でした。
青木:女房が「ジョエン(娘さんの名)になんて呼んでほしいの?」って言うから、「俺、『パパ』っていうほどじゃねえから、『お父さん』がいいや」って言ったら、それから1カ月か2カ月たって、3人でごはん食べてるときに、娘がいきなり「お父さんさあ」って言うんですよ。おっ、やっと「お父さん」って呼んでくれたと思って、隣の部屋に行って泣きました。
林:ギャラリーとして見に来ていたお二人のところに、ボールがコロコロッと転がっていったのがきっかけだったそうですね。
青木:僕がプロになって初めて勝った71年の関東プロで、ウィニングボールをポーンと投げたら、彼女たちのところに転がっていったんです。
林:運命の人だったんですね。
青木:だったと思います。
林:奥さまと結婚してよく言われたのが、「洋服のセンスがよくなった」って。
青木:みたいですね。ズボンにタートルネックのシャツばっかりで、ボタンがついたシャツなんて一回も着たことなかったからね。僕は着せ替え人形ですよ。「はい、月曜日はこれ、火曜日はこれ、水曜日は……」ってスーツケースに入れてくれて、僕は髭剃りとか歯磨きとかを小さな袋に入れて、それをポンとスーツケースに入れておしまい。
林:お嬢さんと奥さまをギュッと両腕で抱きしめてる写真がありますけど、実のお子さんじゃないのにあんなに愛してあげるなんて、素晴らしいと思いますよ。