そして、現在の吉本興業に関する一連の件に関しても、改めてその「知ってる前提」の強大さを実感することしきり。もちろん、ほとんどの日本人は「よしもと」と聞いて「何それ?」とはなりません。今までもずっと、よしもとの歴史・人間関係・ギャラ事情といったまさに「舞台裏」を、芸人さんたちのプロの話術によって「消費」しまくってきたわけで、言わば「よしもとの舞台裏」にはれっきとした商品価値があるというのは紛れもない事実です。その結果、吉本芸人さんたちにとって「よしもと」は、極めて一般常識的なコンセンサスとして進めても「問題ない」という認識がかなり根付いているように感じます。同時に世間も、「舞台裏」を見せられ消費することで、どこか「当事者」になったような気になっている感がなくもない。
しかしこれ以上の「舞台裏」は、今までのように商品やショーとして消費するわけにはいきません。無論、彼らもこれを「売り物」にしているつもりなど毛頭ないことは重々承知の上ですが、このまま行くと世間の「よしもと認識」自体に綻びをきたすような気がしてならないのです。私も、どんなに「二丁目」が浸透しようと、3回に1回は「東京に新宿2丁目というエリアがあるんですけど……」という前置きを付けるようにしています。この自覚って結構大事だと思うのです。
※週刊朝日 2019年8月9日号