1969年1月19日、安田講堂を占拠した学生は、排除行動に出てきた機動隊に投石と火炎ビン攻撃で応酬した 写真=朝日新聞社
1969年1月19日、安田講堂を占拠した学生は、排除行動に出てきた機動隊に投石と火炎ビン攻撃で応酬した 写真=朝日新聞社
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 日本で社会運動が最も盛んだった時期に焦点を当てた企画展示「『1968年』─無数の問いの噴出の時代─」が国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で開催されている。当時の日本の社会情勢を振り返りつつ、約50年前に出された「問い」について考えたい。

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 高度経済成長期の真っただ中にあった日本は平和と繁栄を謳歌しているようにみえた。しかし、そこには矛盾や軋轢(あつれき)、そして歪みが生じていた。

 世界的にはベトナム反戦運動、国内では1970年に控えていた日米安保条約の改定、沖縄問題などがあり、当時の学生は個人個人が政治問題に浅からぬ関心を持っていた。

「さらに学生たちは、大学とは何か、学ぶことの意義など、大学のあり方を問い直していたのです」と国立歴史民俗博物館の荒川章二さん。なかでも日本大学、東京大学の全共闘運動は規模が大きく全国に影響を与え、全国各地の学生がバリケードを築き、大学に立てこもる事態ともなった。そして69年1月18日、東京大学から要請を受けた警視庁は機動隊を導入し封鎖解除を行った。さらに8月、大学紛争が生じている際に事態を収拾し、大学の機能を回復することを目的とした「大学の運営に関する臨時措置法」が成立、施行当日に、封鎖されていた広島大学に約1350人の機動隊が導入され、封鎖は解除にいたった。

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