
●ライヴは一期一会
先日、「なんでそんなにライヴに行くのですか?」と質問されました。理由は簡単です。田舎に生まれ育ったので、いちばん多感な少年時代に実演を見聞きする経験が圧倒的に少なかった。だから上京後、可能な限り見てやろうと思って現在に至っているのです。もう一つの理由は、「いずれまた見ることができるだろう」と、いくつものミュージシャンを見逃してしまったことに対する後悔です。私はマイルス・デイヴィスやアート・ブレイキーのステージを見ていません。あんなによく日本に来ていたのに、です。彼らは私が「どうせまた来るはずだ。元気そうだし。次に来たら行こう」と思っているうちに亡くなってしまいました。
すくなくとも私より同年代以上のジャズ系の物書きで、マイルスとブレイキー両方のナマを体験していないというひとは他にいないのではないでしょうか。だから私は、その「遅れ」を少しでもフォローすべく、とにかく現場に足を運んでいるのです。
●プーレン、大いに語る
そこでドン・プーレンです。今では彼の名前やプレイを思い出す方も少なくなっているように思います。80年代後半から90年代初頭にかけて、彼はブルーノート・レコードの人気ミュージシャンでした。しかしいつの間にか、当時の作品は廃盤になってしまいました。しかし1995年に亡くなったときは、「現役バリバリのピアニストが急逝」と、それなりにジャズ雑誌を賑わわせていたように思います。92年に亡くなったジョージ・アダムスと共に、マウント・フジ・ジャズ祭に出演したときの模様は、私の住む田舎でもテレビ放送されました。
1991年だったでしょうか、ジャズ雑誌に入りたての私はプーレンにインタビューしました。彼は予定時間をオーヴァーして、身ぶり手振りを交えながら楽しい話を聞かせてくれました。「ピアノの鍵盤の上で拳をコロコロ回転させながら弾く奏法は、最初オルガンでやっていた」、「あの奏法はとても手の甲が痛くなるので、あまりやりたくないが、エキサイトすると、ついやってしまう」、「コツを覚えるまでは鍵盤が血だらけになったものだ」、「自分のルーツはゴスペル」といったことを、話してくれたことを覚えています。
●テープに音が入っていない!
「面白い話をきいたな。はやく原稿にまとめなくては」。
山中湖から戻った私はさっそく原稿用紙を広げ(当時はパソコンが普及していなかった)、右手で鉛筆を握って左手でテープレコーダー(もちろんカセットテープ)の再生ボタンを押しました。
が、聞こえるのは「シャーッ」という低いヒス・ノイズだけ。「おや?」と思ってテープを裏返しても、出てくる音はまったく同じです。
興奮していたのでしょう、私は録音ボタンを押すことを忘れていたようです。そのインタビューは結局、掲載されませんでした。
「こんど来たときプーレンに謝って、もう一度取材をさせてもらおう」と思ったのですが、その機会はとうとう、めぐってきませんでした。
「一期一会」という言葉が、重くのしかかります。