かつて明治維新で活躍したイギリス外交官のアーネスト・サトウ。彼の孫である林静枝(84)さんは、彼と祖母とのロマンチックな秘話を明かした。
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アーネスト・サトウは、幕末から明治にかけて活躍したイギリス人の外交官です。日本語に堪能で、幕末には西郷隆盛など志士たちと交流しました。
20年ほどの日本滞在で、武田兼(かね)との間に2人の男の子をもうけました。次男が父・武田久吉(ひさよし)ですから、サトウは私の祖父になります。
その後、祖父は各国に赴任し、晩年はイギリスで暮らしました。基本的に、祖父と家族は離れて暮らしていたのです。
ずいぶん前に、祖母の遺品を整理しようと段ボール箱を開けてみましたら、祖父から家族あての手紙が500通くらい出てきました。イギリスや赴任先の国からの手紙を、祖母はぜんぶとっておいたんです。
イギリスに祖母を連れていけば、言葉も生活習慣もちがうから苦労する。だから、一人で帰ったんでしょうね。寂しかったから、手紙をこれだけ寄越した。亡くなるまで生活費も送ってきてくれたそうです。
日本で生まれ育った父は、背が高くて、足が長くて、すごくハンサム。写真で見た祖父にそっくりでした。顔だちも外国人みたいだった。だから、戦時中は嫌な思いをしたようです。
そんなこともあったせいか、父は祖父のことを一切話しませんでした。おかげで、私は祖父のことを何も知らなかった。
はじめて祖父について知ったのは、女子大に入学するときでした。戸籍謄本が必要だというので取り寄せましたら、祖父の欄に「薩道静山」と書いてあった。なんのことかと不思議に思ったら、祖父の雅号でした。
母は、「アーネスト・サトウといって、明治維新に活躍した人なんだよ」と話してくれました。でも、私は何をした人かも知らなかったので、祖父がイギリス人だったんだ、とだけ思いました。
祖父が小説や大河ドラマに登場して、一般的に知られるようになったのは、もっとあと。戦後のことです。でも、日本語だけでなく古文書も読めるほどの、日本文化のすぐれた研究者だったことは、今でもあまり知られていません。それが少し残念です。
祖母と父が住み、私が生まれ育った家は、靖国神社の裏手にありました。祖父が祖母のために用意した家で、昔の旗本屋敷でした。
冬は寒くて、とても住みづらい。だだっ広い木造の平屋で、天井が高くて、すごく太い梁がありました。和室ばかりでしたけど、なぜか一部屋だけじゅうたんが敷いてあり、椅子と丸いテーブルが置いてありました。祖父が日本にいたとき、その部屋で食事をしたのかもしれない。
500坪の敷地には、池もありました。父が山からとってきた珍しい木や植物がたくさんあって、昆虫もいましたし、鳥も飛んできました。ほんとうに楽しい庭だったんです。
でも、40年ほど前、相続税が大変で、泣く泣く手放しました。現在は、建物も池もなくなって、法政大学の図書館が立っています。
今でも懐かしく思います。あの家が祖父からもらった宝物でした。
(構成 本誌・横山 健)
※週刊朝日 2014年9月5日号

