去年の『あしたのジョー』に続き今年は『愛と誠』が実写映画化されます。
 一回りして、当時梶原一騎作品に熱狂していた世代が、40~50代になり、改めて彼の作品の面白さを世に伝えたいということなのでしょうか。

 梶原一騎作品に関しては、複雑な思いがあります。
巨人の星』や『あしたのジョー』の頃は、大好きでした。梶原作品=面白いという感覚でした。どの作品もキャラクターの動きに外連があり物語のうねりを感じたのですね。この当時は、スポーツを題材にした物が多く、魔球などの必殺技とそれをどう破るかの応酬が作品の核になっていたのも、好みだったのです。
 それがなんとなく生彩を欠いてきたなと思い出したのは、『愛と誠』の終盤辺りからでしょうか。
 極端な暴力指向、感情移入出来ないキャラクター、大学に入った頃には江口寿史や高橋留美子や鳥山明などが活躍していて正直「梶原作品はもう古い」という印象でした。出版社に入ってからもあまりいい噂はきかなかったし挙げ句の果てに編集者暴行による逮捕でしたからね。正直幻滅しました。
 それでも、梶原氏が亡くなってしばらくしてからは、作家の素行とは別に彼の初期の作品の面白さは、やはり評価すべきだよなあという気分になっています。
 斉藤貴男氏の労作『梶原一騎伝』や、氏の奥さん高森篤子さんが書かれた回想録『スタートは四畳半、卓袱台一つ』、最近復刻された『劇画一代―梶原一騎自伝』、ちばてつや氏の『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』など、梶原氏について書かれた本を継続的に読んでいるのも、その気分故でしょう。
 改めて、『巨人の星』『あしたのジョー』『愛と誠』という大看板だけでなく、『斬殺者』とか『男の条件』とか『プロレススーパースター列伝』など、外連味たっぷりでマンガとして素直に面白い作品はあるよなあ。ストーリーテラーとしての梶原一騎ってやっぱり凄いよなあと思っています。

 その思いを新たにしたのは、梶原氏の実弟真樹日佐夫自伝『ああ五十年身に余る』を読んだ時でした。
 冒頭、著者の作家生活50年記念パーティの描写から始まるのですが、そこに出て来る人物達の口調や、著者の内省描写などの文体が、往時の梶原作品そっくり。
 まるで梶原マンガを読んでいるよう。
 その独特の臭みに一時期は辟易したこともあるんですが、これだけ時間をおいてから読むと、実に心地よい。昭和の匂いというか。
 特に若い頃のエピソード。
 兄、梶原一騎が床屋の二階を仕事場に借りて弟にも漫画原作者になれと諭すシーン、当時大人気だった石原慎太郎と石原裕次郎兄弟をも追い抜く存在になろうと真樹を鼓舞するところなんて、完全に星一徹が飛雄馬に「輝く巨人軍の明星となれ」と叱咤するシーンと重なって、胸が熱くなりました。
 自分も歳をとりノスタルジックになっているだけかもしれませんが。
 真樹氏は、自分が兄のことが好きであることを踏まえた上で、多忙故の彼の筆の荒れ、一時期の蛮行から逮捕劇に至るまで、それなりに客観的に書いています。 もちろん真樹氏の自伝ですから、自身の私生活について書かれたページも多いのですが、それでも若き日の梶原一騎を知る上で貴重な作品になっているなと感じました。

 まだまだ老いて盛んという筆致でしたが、今年の1月2日、真樹氏の突然の訃報が。
 またひとつ昭和が終わっていくなと、正月早々しみじみとしてしまいました。