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 東北地方には、亡くなってしまった子どもを供養するための独特な風習がいまもあります。

 絵馬、人形や写真を入れたガラスケース、絵額は家族や友人など「おくりびと」たちが神社仏閣に奉納したもので、ときにここを訪れてお参りをします。どのような幸福観や死生観があるのでしょうか。

 作家の小川洋子さんはこの知られざる風習の地を2013年に訪れ、時を経て7年ぶりの書下ろし長編小説『小箱』(朝日新聞出版)に結実されました。「一冊の本」10月号に掲載された、この本のきっかけになった旅のエッセイを特別公開いたします。

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 2013年の初夏、ムカサリ絵馬を見るため、青森、岩手、山形を旅した。ただひたすらそれを見るだけで、他には何も必要ない旅だった。

 初めてムカサリという言葉を耳にした時は、当てはまる漢字も思い浮かばず、もちろん意味も分からなかった。その音の響きは、他のどんな言葉とも似ておらず、鼓膜に不思議な感触を残した。たとえ辞書に載っているとしても、広大な言葉の海の片隅で、ひっそり孤島に閉じこもっているのだろう、と勝手にそんなイメージを抱いた。

 専門家に伺うと、ムカサリとは結婚や花嫁を指す東北地方の方言なのだが、大事に育てた娘が嫁に迎えられ、去ってゆく、向こうへ去る、という意味合いを含んでいるらしい。響きがどことなく寂しげなのは、やはり見送る立場の言葉だからかもしれない。

 そしてムカサリ絵馬は、未婚のまま若くして亡くなった我が子が、死後の世界で結婚できるよう、婚礼の様子を描いてお寺に奉納されたものである。そこには、死んだあとでも成長してほしい、結婚式を挙げて一人前になってほしい、と願う親の気持が込められている。

 地方によっては供養絵額や、ガラスケースに納めた花嫁・花婿人形が奉納されているところもある。幸せの形は結婚式に限定されるわけではない。供養絵額には、立派な座敷でご馳走を前にお酒を酌み交わしている一家の宴や、綺麗な着物を着た女性が幼子と遊んでいる様子が、色鮮やかに描かれている。この世では出会えなかった者たちが、あの世で一緒になって楽しんでいるのだ。あるいはガラスケースの中には、死後の世界で成長する子どものために、玩具や文房具、大人になった証の煙草や車の模型が納められたりする。

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