『戯伝写楽 ーその男、十郎兵衛ー』が、いよいよ始まりました。
 3/10?27まで、東京、吉祥寺シアターで公演されます。
 主演の宮野真守くんは、今人気の若手声優。舞台の本格的な主演は初めてということで気合いの入りようもなかなかのもの。
 演出の中屋敷くん含めて小劇場で活躍中の20歳の若手とベテランがぶつかりあう、ミュージカル版とはまったく違う手触りの作品になっていると思います。
 僕としては最近大劇場での作品が多かったので、こういうギュッとした密度の濃い舞台は久しぶりで、懐かしいですね。
 アフタートークも色々予定されています。僕も、宮野くん中屋敷くん、それに今回はプロデューサーに徹している朴?美さんと一緒に10日と24日のソワレ終演後に出ます。詳細は、公式サイトをご確認下さい。
 
『戯伝写楽』の舞台となったのは寛政6年(1794)、江戸に町人文化が花開いた時代です。
 特にこの時期、江戸の街には歴史に名を残す才能が綺羅星の如く存在していました。
 この作品に登場する人物でも、東洲斎写楽、喜多川歌麿、十返舎一九、葛飾北斎、蔦屋重三郎、大田南畝、それ以外でも曲亭馬琴、山東京伝、鶴屋南北等々、江戸文化人オールスターズといった風です。
 しかも彼らは、時の権力とは無縁の、大衆消費的な町人文化の旗手でした。
 浮世絵、洒落本、黄表紙、歌舞伎と、すべて庶民の娯楽としての商品です。自分たちが作り上げた商業システムの中で商売として自分たちの作品を発表していた。
 今で言うエンターテインメント産業がこの時代の日本では成立していた。
 つまり、それだけ都市部での庶民の生活が安定していたということです。
 その日の食事に困るような生活をしていたら、とても娯楽にまではお金はまわせません。
 この時代、江戸の人口は100万人。世界一の人口を持つ都市だった。京都、大阪で40万人。世界的に見ても日本には都市文化が栄えていたのです。

 江戸時代の徳川幕府というのは、不思議な政権です。
 武士という軍事政権でありながら、各藩の反乱を恐れてのことかもしれませんが結果的に国の武装解体を進めている。
 しかも、政権を持っていた265年間、他国への侵略戦争を行わなかった。
 その前の統治者だった豊臣秀吉が朝鮮出兵を行い、そのあとの明治政府が中国を筆頭に侵略戦争を行っていたことを思えば、立派なことだと思います。
 またその引き際も鮮やかだった。
 国を分裂させかねない内戦が起こる可能性もあった時に、大政奉還で自ら政権を天皇に返上した。
 もちろん幾つかの紛争を踏まえた上での決断でしたが、へたをすれば首都江戸で本格的な内戦が起こるところを水際で食い止めた。
 この間のNHKスペシャル『日本人はなぜ戦争へと向かったか』で、政府首脳部の誰もがアメリカと戦争して勝てるわけはないと思っていたのに、決断しないまま問題を先送りにしていった結果、太平洋戦争に突入したという内容の番組をやっていて、改めて徳川慶喜の政権放棄の決断に感心したのです。
 日本の歴史には、ちゃんと止める勇気を持って判断した政権があったという事実に。

 265年間、鎖国していたせいで、日本人には島国根性が染みつき国際交渉のセンスに著しく欠けるようになったという声もあります。
 確かにそうかもしれない。
 でも、かつて265年の長きに亘り、他国に侵略戦争を仕掛けなかった政権があった。それは世界に対して胸を張って言えることだと思っています。
 しかも、その中で市民達による高度な文化が育っていたことも。

 ちょっと『戯伝写楽』とは関係ない話になってしまいましたが、よければ劇場に足を運んで下さい。お待ちしています。