この記事の写真をすべて見る
平成最後となる初詣に行かれた方も多いと思うが、神社仏閣の混雑ぶりに参ったと思う方も増えたのではないだろうか。AERAdot.の編集部から「最近は特に混み具合に拍車がかかったのでは」という問い合わせを受けたので、そのあたりを少し整理してみたいと思う。
【やはり初詣などでも行列ができる、東京の湯島天神と神田明神】
●明治時代までは神仏習合だった日本
ご承知のことと思うが、日本でお寺と神社が別れたのは明治時代になってからだ。それまで日本は神仏は習合し、お寺に神さまが鎮座していたり、神社にお寺が建てられたりしていた(神宮寺)。神仏には儒教や陰陽道(おんみょうどう)、修験道、ほかにもさまざまな民間信仰が混じり合い、まさに独自の宗教観を呈していた。
これが、明治時代になり神道国教化に向けて、混ざり合った宗教を区別するよう次々に通達が出され、やがて神社とお寺の間には境界が作られていくようになる。もちろん、明治以前にも分離する試みは行われてきたが、明治時代の廃仏運動は格段に激しくお寺に対する暴力的な破壊活動は全国的な広がりを見せて、神社とお寺を区別する現在のような姿へと変容した。お坊さまが神職へと転向させられたり、還俗(げんぞく/出家した僧が一般人に戻ること)を余儀なくされた人も多かった。
●「二拝二拍手一拝」の歴史
それまでは、神仏の行事の多くはお寺のしきたりに従ってきたと言ってもよい。もちろん、伊勢神宮や出雲大社にも神宮寺は存在していたのだ。
こういう歴史から、現在多くの神社の正式な参拝方法とされている「二拝二拍手一拝(二礼二拍手一礼)」というのは、実は明治40年の「神社祭式行事作法」まで定まっていなかったのである。しかも、昭和17年には一時「二拍手」がなくなり、昭和23年に再び復活したという経緯を持つ。それだけに、これを「正式な」と言うには少し無理があるのかもしれない。
●参拝方法だけではないしきたり
加えるならば「二拝二拍手一拝」ではない神社も全国にはある。出雲大社や宇佐八幡、弥彦神社などは4回拍手を打つのが正式と言われているし、拍手はしないと通常思われているにもかかわらず、あるお寺では「二礼二拍手一礼」と書かれた紙が掲示されていたりもした。
近頃では、手水場での作法や参道の歩き方、茅の輪(「夏越」や「大祓」の際に拝殿の前に設置される茅で作った輪)のくぐり方、お賽銭のあげ方などこと細かく書かれた指示書もよく見るようになった。おかげで1人ひとりが拝殿前にたたずむ時間が増え、一層混雑に輪をかけているように思える。