若くして即位した光格天皇がこれほど立派な天皇になった背景には、2代前の女帝・後桜町天皇の存在がありました。後桜町院に学問を勧められた光格天皇は、六国史や日本三代実録、日本文徳天皇実録など歴史の本を熱心に勉強し、10代の終わりには立派な天皇に成長したと言われています。私にはその姿が美智子さまに重なって見えるのです。

 戦後60年の年、満州の開拓団員らが築いた那須の千振開拓地を訪れる際、美智子さまは、ちょうど那須御用邸に来ていた当時中学生の眞子さまを誘いました。眞子さまの母方の祖母は、満州からの引き上げを経験しており、藤原ていさんの「流れる星は生きている」をもらい読んでいたことを知っていたからだったそうですが、「眞子がやや緊張して耳を傾けていた様子が、今も目に残っています」と美智子さまはその年の誕生日に振り返っています。

 新天皇の即位後は、一時、東京都港区の高輪皇族邸に仮住まいし、東宮御所を改修してお住まいになるそうです。この東宮御所は、両陛下が結婚した翌1960年に建てられ、33年間暮らし、子育てに励んだ思い出の場所。美智子さまが詠む和歌には「窓」という言葉がよく出てきますが、東宮御所にある西向きの窓を眺めながら、いろいろな思いを馳せたことがわかります。思い出の場所に戻られ、今後の皇室のためにやるべきことを考え、"継承"を続けられるのではと思います。

――渡邉さんは美智子さまと同じ歳で、最初に美智子さまの存在を知ったのは学生時代だったと聞きました。

 私が早稲田大学の学生だったころ、昭和30(1955)年に読売新聞が募集した懸賞論文「はたちのねがい」に応募したんです。三次選考で落選したのですが、そこで2位入賞したのが聖心女子大学の正田美智子さんでした。「虫食いのリンゴではない」というタイトルで、戦後の混乱期に育った自分たちの世代の生き方を語った内容でしたが、後の報道で賞金2千円を寄付されたと知りました。すごい方だと思いましたね。

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美智子さまの人気を痛感した取材