これは別に親に限った話ではない。たとえば、会社で上司が部下を「教育」するのは、上司が無意識的に「自分がこの会社を去っても、部下がしっかりやってくれるだろう」という期待を抱きたいがためではないか。
そう考えると、わが子の「成長」とは結局は「自立」を指し示していることが理解できるだろう。
中学受験に話を戻そう。
中学受験勉強に取り組むわが子を目の前にして、日々途方に暮れている親も多いだろう。
「家に帰って『勉強しなさい!』と大声で叱責されるまでわが子は何もしようとしない」
「ウチの子はあまりにも幼稚なので、受験勉強に付き添いたくはないのだけれど、仕方なく面倒を見ているのです」
「本当にだらしのない子で、親が学習管理をしたり、教材・プリント類を整理してやったりしないと、机の上がぐちゃぐちゃになって何を学ぶべきか分からなくなってしまう」
こういう悩みを抱えている親にとって、わたしの申し上げることはただの「理想論」にしか聞こえないのだろう。
確かに子どもの成熟度は千差万別であり、何が何でも「自立」させられるように親がわが子をいますぐにでも突き放せというつもりは全くない。
ただ、親は「わが子の教育の目的は自立にある」という価値観を心の片隅に常に置いてほしい。それだけで、わが子の日々の学習への接し方、進路の考え方、塾の活用法などに多少なりとも変化が生まれるのではないか。
中学受験で第1志望校に合格できるか否か。親がこの点を気にするのは当たり前である。
しかしながら、中学入学後にわが子がいかに「自立」していけるのか。こういう観点のほうが第1志望校合格よりもよっぽど大切なことだとわたしは確信している。
(矢野耕平)
著者 開く閉じる