○「津田の東の本女(ぽんじょ)には、セイント・フェリスの泉あり。大妻・実践・共立の昭和女(しょうわおんな)の白百合は武蔵野跡に咲き乱る」

 津田塾大、東京女子大、日本女子大、聖心女子大、フェリス女学院大、清泉女子大、大妻女子大、実践女子大、共立女子大、昭和女子大、白百合女子大、武蔵野女子大、跡見学園女子大。

 これは1980年代の命名だが、いまでは通用しなくなった。武蔵野女子大から「女子」がとれて共学になったからだ。

 代田さんが「日東駒専」「大東亜帝国」を発案したのは、1970年代だが、当初はそれほど広まったわけではなかった。予備校、受験情報誌以外のメディアで使われたのは、1980年代になってからだ。

 こんな週刊誌の見出しがある。

「大学下克上 日東駒専は偏差値で旧帝大に並んだ」(「週刊現代」1990年3月10日号)

「『日東駒専』『大東亜帝国』は国立大学を超えたは嘘」(「週刊文春」1992年4月2日号)

「MARCH」もこのあたりからじわりと浸透しつつあったが、「日東駒専」「大東亜帝国」よりもやや後発である。週刊誌の記事見出しにこういうのがあった。

「早慶・MARCH・関関同立 伸びている私立高校」(「週刊朝日」2004年4月30日号)

■関関同立「はやらせや」

 グループの名づけ親は代田さんだけではない。

「関関同立」という、いまでは古典の類に属する名称を考えたのは、1960年代~70年代、大阪の夕陽丘予備校理事長を務めた白山桂三さんだ。

 命名にいたる経緯を、同校の学校史でこうふり返っている。

「関学、関大、同志社、立命館、この四つの私立大が、関西では入試レベルも高く、人気もある大学なので、これを総称して“関関同立”と言うことにしようや。『大学へアタック』で、はやらせや」(『創立三十年 夕陽丘予備校史』1981年)

『大学へアタック』とは、1970年に大阪新聞に掲載していた受験関連の連載記事のことである。関西の予備校、大阪の夕刊紙が発信した「関関同立」が、全国区になったのは興味深い。

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