そんなときに山梨学院大学附属小学校(現・山梨学院小学校)の編入枠ができたことを母が見つけ、「ずっと私立に通わせるのは難しいけれど、小4から6年までの3年間なら」と提案してくれました。
山梨学院小の先生は本当に最高でした。僕は先生にわからないことを質問することが多いのですが、それがたまたま大学以上の授業で習う内容だったということもあるんですね。そんなとき、この学校の先生は知っているふりをしたり怒ってごまかしたりせず、「ごめん、それは先生もわからないんだ。でも今夜勉強してくるから、明日一緒に勉強しようね」と言うんです! 翌日の昼休みに大量の手書きの資料を持ってきて、何日も僕の質問に付き合ってくれて……小学生の僕でも、大学で学ぶようなことを理解できました。それで学びのリミッターが外れて、好奇心が一気に爆発しました。
■年配の教員に「絶対無理です」と否定され
――卒業後は公立の中高一貫校に進みましたが、そこで先生に実験を否定されたこともあったそうですね。
はい。ただ、予め断っておきたいのは、ほとんど全ての先生がすごく親身になって教えてくださったということです。僕は中学3年の卒業研究で、「ひやっしー」の原型になる二酸化炭素回収マシンの研究を始めました。火力発電所のように、空気中の20~30%も二酸化炭素が含まれる場所からそれを吸い取る研究は日本も得意なのですが、ふつうの空気中から直接二酸化炭素を吸い取る研究をしていたのは、当時、海外にわずか数チーム程度。なぜなら、空気中には二酸化炭素が0.04%しか含まれず、そんな薄いところから取り出そうとするのはばかげているというのが、アカデミック界隈の認識だったからです。
そして中学時代の僕の指導教員は60代の年配の方で、僕が「こうすればうまくいくと思います」と説明しても、「絶対無理です」とかぶせるように言うなど、他の先生とは違い僕の研究に否定的な先生でした。その先生は試薬庫の鍵を持っていたのですが、実験に必要な薬品の使用も禁じられました。その時の気持ちは、怯えと不安でした。威圧的で怖かったですし、まだ15歳だったので、経験のある先生に批判されたことで落ち込みました。実験さえすれば僕の仮説の正しさが証明されて先生の考えを変えられるかもと思っていたのですが、それすらできなかったのですごく苦しかったです。
次のページへ否定された実験はことごとく成功した