今の中学受験はまさに、親子の共同作業になっています。私が一番訴えたいのは、子どもの適性よりも「親の中学受験適性」が重要だということです。

――娘の中学受験を通して感じたことを、早見和真氏(以下・早見)はこう話した。

早見:『「中学受験」をするか迷ったら最初に知ってほしいこと』を読み、うちの娘は中学受験に向いていたのだと確信しました。

 僕自身、娘の中学受験は妻に任せきりでしたが、娘が不意にSOSを発しているときの、その空気を察することだけは長(た)けていたように思います。自分の、娘へのコミットの仕方で「なんか今のアドバイスは悪くないな」と思った瞬間が何度かあり、その一瞬一瞬を煮詰めて『問題。』を書き上げました。

親子の距離感の難しさ

――“思春期”と重なる中学受験の時期は、家族としても難しいときだ。

東田:思春期の少年少女と中学受験は、ものすごく“相性が悪い”。思春期は子どもが親離れを始める時期ですが、現代の中学受験は“母子密着型、親子伴走型”で、長期にわたり家族で向き合わなければならない。結果、娯楽や趣味の部分までも親が管理しがちになり、親子関係が崩壊する原因になったりもします。

(写真はイメージ/Getty Images)
(写真はイメージ/Getty Images)

――母と娘、父と息子のような小説は数多(あまた)あるが、父と娘の物語はとても少ない。そう思ってきた早見は、現実的に自分が娘の父親になったときに「いつか書いてやろう」と、心に秘めてきたという。

早見:普遍的だとは思わないのですが、父親と娘の間には常にオブラートのような紙が1枚挟まっているという感覚が12年、ずっと続いていました。でも中学受験という、娘にとっても親にとっても不条理なものと初めて対峙(たいじ)したとき、もはやオブラートを挟んでいる場合ではないと感じました。

東田:娘を持つ父親であれば多くの方が感じているちょっとした距離感が、『問題。』では絶妙に描かれています。過干渉にならず、でも放任でもなく共倒れせず、危うさがない。また中学受験では欠かすことができない成績とか合格・不合格とか、世の中の大半の保護者が一喜一憂する要素を排除することにも成功しています。

次のページへ“中学受験が目的じゃない”
1 2 3