「君が限られた相手としかよい関係を築けなかったり、こういうことをして自分から人が離れてしまったり、そういったことがわかっただけでも意味があるのではないかな。一方で学校とは離れた場では楽しい時間が過ごせているってことは、そこにこの先のヒントが隠されているのでは? 自分が楽しめる、頑張れる場がどういうものなのかを考えてそこに身を置くようにしないと、つらくない? 私は君ではないからそれがなんだとは言えないし、また中学受験をしたからそれを得られたのかは分からないけれど、苦々しい過去も今の自分を形作っているわけで無理に『やってよかった』と思う必要はないが、この先を生きる糧には出来るのではないか。というか、そうしないとやっていけないだろう」
いま思い返しても答えになっていないような気がするし、めちゃくちゃなことを言っているのは自覚しているのだが、その子は「なるほど……」と言い、納得してくれたように思える。来たときとは少し違う表情をしていた。
中学受験をしたほうがいいか、の質問に対する答えはない
中学受験をしたほうがいいか、中学受験に向いている子はどういう子か、中学受験をすると将来どう有利になるのか……といった類の質問に私は違和感を持っている。少なくとも私の中にそれらの質問に対する答えはないし、「そんなものは人によるだろう。一般論化することに無理があるし、しようとするのもなんだか変な話だ」と考えてしまっているのだ。
中学受験はしなければならないものではないし、皆がしたほうがいいとも全く思わない。まず公立中学校があるわけだから中学受験をせずとも中学生になれるのだ。中学受験をしたところで何か特別なものになるわけでもなく、同じように中学生になるだけだ。
「中学受験、その先に」無条件に何かが用意されているわけではない
ただ、もし「こういうことをやってみたい」「こんな風な学生生活を送ってみたい」というものがあって、それが公立中や高校受験では実現できそうにないのであれば選択肢を増やす作業をしてみてもいいのかもしれない。中学受験はそうやって2校目以降の選択肢を増やす作業なのではないかと思う。つまり中学入学時点にしか大きく作用しない。
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