――あまりに大変すぎて、記憶が飛んでいるみたいな感じでしょうか。

 そうですね。とにかく寝られなかったですね。双子が1時間ごとくらいに1人ずつ夜泣きするので、そのたびに起きてミルクをあげて、ということを一晩中やっていた感じです。当時2歳の長女が起きてしまうと最悪の事態になるので、起こさないようにもしないといけなくて。この大変な時期を乗り切ろうということだけを考えて、日々過ごしていたと思います。ただ、自宅でできる仕事だったので、なんとか限界を迎えずにすんだという感じです。

あの時期は特殊な能力が生まれていた…

――夜泣きが落ち着くと、次はハイハイしたり、歩き出したり、目が離せない時期がきますよね。

 そのころが一番しんどかった気がします。僕はけっこう心配性で、事故を起こさないように神経を使っている状態が1日中続くので、疲れていましたね。

――公園でも3人それぞれ違うほうに行ってしまうとか?

 同じところにいてくれたらいいですけど、そうはならないですよね。当時の僕はサッカーでいうと日本代表だった中田英寿のつもりで公園にいましたね。「オレは日本代表のヒデだ」みないな……。司令塔として全方位に目を配って、周りからすると、とんでもないところにパスを出すみたいな。あの時期は特殊な能力が生まれていた気がします(笑)。

子どもが生まれて世界が広がった

――逆に年齢が近くてよかったことはありますか?

 よかったことは間違いなく、3人で遊んでくれることです。長女1人だったときは、僕か妻が遊び相手をしないといけない時間が長かったんですけど、双子はそれがないんですよね。親としてはほかのことができてありがたいし、何より遊んでいる姿が楽しそうで微笑ましいんです。今でもずっと3人で遊んでいますね。ごっこ遊びが多いですね。それぞれセリフも考えてエチュードみたいな感じでやっていて。ケンカもしょっちゅうありますけど、すぐに仲直りします。

――お子さんが生まれてから、作品づくりなどに変化はありましたか?

 これまで自分が出会ってきた人たちにも、全員親がいて、それぞれの人生があるということが現実味を帯びて考えられるようになりましたね。一気に世界が広がって、人の内面的なことも気になるようになったことが作品にも影響しているかもしれないです。

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