ひとつでなく、たくさんあっていいし、立派なカッコいい答えじゃなくてもいい。そうやって出てきた一つひとつの「できたら嬉しいこと」がその人をつくるのではないかと思っています。
そうしているうちに、人生の多くの時間をかけて取り組みたいと思うことが見つかるかもしれません。
忙しかったり、心の多くの割合を占めてしまう心配事があったりすると、ついついそれも忘れがちですが、安心できる家でのコミュニケーションの中で、ゆっくり考える時間を持つことはひとつの財産をつくるのと同じです。
「できる工夫を探す」とは?
不登校のうちに、自分を知ることと共にやっておいたほうがいいことは、「できる工夫を探すこと」です。
遺伝子由来の個性は言わばヒトの生存戦略なので、そのひとつの遺伝子パターンを担っている貴重な存在であることに変わりはなく、ましてや本人のせいではないのですが、社会でより自由に幸せに生きていくためには、自分を尊重しつつできるだけ真ん中に合わせる工夫も必要です。
真ん中に合わせる機能的な工夫として、たとえば、視力が弱い生徒がメガネをかけるように、道具を使うことによって補完される・緩和されるものもあります。難読症の生徒には文章の下や横に当てて読みやすくするルーラー、聴覚過敏の生徒にはイヤーマフ、書字障害のある生徒にはPC入力、ADHD(注意欠如・多動症)の生徒向けのハビットトラッカーなど、先輩たちの愛と工夫の結晶とも言えるさまざまな道具があります。
また、心の感覚として真ん中から離れていることがある場合、自分の感覚である自分の尺度と真ん中の尺度の2つを持ち、調整できるようになるととても生きやすくなるようです。
真ん中の尺度とは、社会で集団生活するうえでの共通理解であり、それらは義務教育の学習内容を習得することで、補うことが可能です。
自分の尺度を持っていること、そして、自分の尺度を大切にすることが大前提となるのですが、自分の尺度のほかに、これらの学習によって習得した「真ん中の尺度」を持てるようになると、自分の尺度で迷ったときには真ん中の尺度に照らして調整することができるようになり、指針ができ生きやすくなります。
これらの指針は、社会に出たときには「共通言語」として機能します。
植木 和実

