ただ、保育園のころからもう「あの子、太ってるよね」みたいなことを言う子どももいるんです。これはまわりの大人が悪いというか、さすがに見た目をけなすことはもうないと思いますが、本当に褒めるつもりで「◯◯ちゃんは目がぱっちりしてかわいいよね」ってなんの意識もなく言ってしまうわけです。子どもからしたら、「◯◯ちゃんはこれで褒められてるけど、私は言われないから、私の今の状態はよくないんだ」と思ってしまうかもしれない。
これについては、どんな外見でもかわいいということを伝えていますが、思春期になると親のそういう言葉もあまり響かなくなるのかな、と思います。テレビでもSNSでも、特定の女の子がかわいいとされているなかで、親の言葉でその子の悩みが消えるものでもないだろうし。私が思春期のころにSNSがあったらきっとで病んでいただろうな、と思います。
だから、社会に存在するルッキズムの構造を説明しながら「そりゃ苦しいよね。でも、今あなたが苦しいのはあなたのせいじゃない」と子どもに伝える。これは私が拙著『女の子に生まれたこと、後悔してほしくないから』の取材で、東京大学大学院総合文化研究科教授でフェミニズムがご専門の清水晶子さんにお聞きしたことです。苦しみだけではなく、それをなくすためにどんなアクションがあって行われているのか、美しいと思えるところを増やすにはどうしたらいいかという希望の部分もセットで語っていくことが今後の課題かなと思います。
自分の子どもを褒めてもらったときに「うちの子なんて……」と自分の子を下げる親の対応も、本当になくなってほしくて……。それって謙遜じゃなく、ただの悪口だと思うんです。なぜか自分とは別人格のはずの子どもまで自虐のくくりに入れて語る方がいますが、横で聞いている子どもからするととてもショックですよね。
――「ジェンダー教育」に力を入れてきてよかったと思うのはどんなときですか?
それはたぶんこれからだとは思うんですが、娘は“自分は女の子だからこれはやらない”とか、男の子に対して自分が劣っているということはまったく思っていないようなので、そこはよかったかなと。とはいえ、まだまだ友だちを傷つけてしまうこともあると思うんです。それでも、友だちにポジティブな言葉をかけていたり、相手に触るときにちゃんと同意をとったりする姿を見たときは、ジェンダー教育をやっていてよかったなと思いました。私は娘を抱きしめたいときに「抱きしめていい?」と必ず聞くようにしているんですが、娘も友だちに対して「手つないでいい?」と聞いていて。この先、自分に対して同意をとってくれない人に出会ったときに、ちゃんと違和感を持ってくれるかなという期待をちょっと感じています。
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