「勉強って楽しい」 受験勉強は遊びに近い感覚だった

――入塾してからは、どのような日々を送っていましたか。

山﨑 僕は関西にある浜学園という塾に小3から通い始めました。飛び級制度のある塾で、小4の時点で小5の内容の勉強をしていました。そして小5になると、周囲の講師たちの勧めもあり当時開校したばかりの「希学園」に通うことになりました。

 希学園には飛び級制度はなかったので、結果的に小5で習う内容を2年続けて勉強することになった。結果的にこれがとても良かった。異なる塾で、小5で習う内容を2回勉強できたことで、とくに国語・理科・算数においては基礎をしっかりと固めることができた。

茂山 僕が通っていたのも、いまはもうなくなってしまった町の小さな塾です。「時間があれば自習室にきたら」と声を掛けてくれるような、こぢんまりとしているけれど、塾講師たちがよく面倒をみてくれる塾です。「学校と違って、楽しい」というのが正直なところで、当時はまだ小学生だったこともあり、自分のことをすごく頭のいい人間だと思っていました。いま思うと、おめでたいですね(笑)。周囲にはもっと頭のいい子もいて、ひとことで言うとやっぱり「勉強って楽しい」という感覚があった。

山﨑 どちらかというと、“遊び”に近い感覚ですよね。

茂山 そうですね、勉強を苦痛に感じたことはなかったです。その感覚を小6まで持ち続けることができ、入試直前も「受けたら全部、受かるだろう」とさえ思っていました。チャレンジ校には落ちましたが、それでも第1志望だった大学付属中学には合格しました。

「受験が終われば、平和な家庭が手に入る」と思っていたけれど…

――山﨑先生は勉強漬けの日々に疑問を感じたことはなかったのですか?

山﨑 小5の頃には自分の置かれた状況に疑問を抱くようにはなりましたが、それはどちらかというと、「学歴社会」そのものに対する疑問でした。母の父に対する当たりが強いのは、やっぱり学歴がないからなんだ、そして高学歴であるはずの母が“学歴”を振りかざして父に対してつらく当たるのは「やっぱりおかしい」という気持ちが拭えなかった。一方で、僕自身はテストで1位を取りたいし、灘中学には進学したい。そうした、相反した感情が入り混じった状態で受験を終えたんです。

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