遠隔操作による分身ロボット「OriHime」が接客する画期的な実験カフェを開き、今もさまざまな難題にチャレンジし続ける、オリィ研究所共同創業者で代表取締役CVOの吉藤オリィさん。中2くらいまで不登校を経験しましたが、母親が申し込んだロボットの競技大会を機に人生が大きく変わったといいます。「AERA with Kids 2024年夏号」(朝日新聞出版)からご紹介します。※前編<吉藤オリィが語る、不登校を見守ってくれた母の言葉「折り紙をやってるあなたは目が輝いているからいい」>から続く

自分が生きるために17歳のときに掲げたミッションが「孤独の解消」

吉藤 両親に感謝しているのは、自分にいろいろなことをさせてくれたこと。少林寺拳法やミニバスケや体操教室など、けっこういろいろ通いました。残念ながら自分に向いているものはほとんどなかったけど。すぐにやめても何も言わずに「とにかくいろいろやってみよう」と。あ、ボーイスカウトでのロープワークは得意でした。試しに近所のおばさんの腕を縛ったときは、こっぴどく怒られたけど。

高濱 (笑)オリィさんは、怒られても平気なタイプだよね。

吉藤 はい、むしろダメと言われたことは全部やりたくなるほうで。夏休みの宿題も、たとえ2学期の頭に怒られようが40日間遊んでいるほうが全然いい。

高濱 (笑)いいなあ。でもこのロボット競技会から、オリィさんの人生は大きく変わっていくんですよね。

吉藤 そうです。ラッキーなことに優勝して、次の関西大会でも準優勝。そのとき展示されていた、一輪車をこぐ大きなロボットにワクワクしたことが始まりでした。それは地元の工業高校の先生が作ったもので、この学校に行きたい!この先生とロボットを作りたい!と、ようやく苦手だった勉強をする気になったんです。

高濱 ワクワクできる目標ができたことで、学校にも通うようになった。

吉藤 はい、私は人と話すことが苦手で、それがロボットへの興味につながったわけですが、それからは多くの人との出会いによって自分の人生がガーッと動き始めました。

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篠原麻子
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