漫才も漫画も絵本も「面白いこと」を発信する手段

――NSC卒業後は芸人として M-1グランプリ、キングオブコントなどに出場し、後にR-1グランプリで優勝するお見送り芸人しんいちさんとユニットも組んでいらっしゃいます。そんな中、SNSでの漫画投稿や絵本の制作といった、お笑いとは異なる分野の活動を始めたのは、なぜでしょうか?

 小さい頃から自分が得意な「絵」で何か表現できないかと考えたんです。一見まったく違うことをやっているようですが、漫才も漫画も、これまで描いてきた「頭がよくならない絵本」も、自分が面白いと感じることを外に向けて発信するという点は同じ。ただ、漫才がたくさんの言葉を使って面白さを伝えるものなのに対し、僕が描いている漫画や絵本は、絵と最小限の言葉で面白さを表現するもの、という違いはありますね。

 漫才にはフリ、ボケ、ツッコミなどの要素があって、フリに対して意外な行動や言葉などで返すのがボケ。そのボケを「こういう角度で見ると面白いですよ」と提示するのが、ツッコミだと思っています。この一連の流れを3分、4分という限られた時間のなか繰り返し、笑いを生み出すためには、たくさんの言葉を重ねなければなりません。ところが、言葉で説明をしすぎると、逆に面白さがなくなってしまう。この加減が難しいんです。

日常にあふれる「面白い」を見つける力

――確かにそうですね。

 一方絵本や漫画の場合、「面白いこと」の捉え方はもっと自由ですし、さらに絵本に関しては、何をどう面白いと感じるかは読む人次第、というところもあります。「頭のよくならない絵本」は僕が面白いと思うことを表現した作品ですが、読み手に「ここで笑ってください」と教えてあげなくてもいいという点ではすごく解放された感じがありますし、言葉では伝えづらい面白さを表現できる楽しさもありますね。

 この「面白いことを自分で見つける力」っていうのは、生きていく上で結構大事なんじゃないかと僕は思っていて。本の内容がひと目でわかる長いタイトルやバラエティ番組の字幕は、理解の手助けにはなるでしょうが、こういう工夫が増えるほど、人は自分で面白いと思うものを発見できなくなってしまう気がします。

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