ところがある日、娘がうんざりした表情で「難関コースの授業は、さっぱり理解できない。私には無理!」と私に言ってきました。その言葉でやっと我に返り、子どもの本音について考えるようになりました。思案していくうちに、「娘自身が高偏差値の学校を選んでいる」という体裁になるように、私がリードしてきたことを自覚しました。

なぜ私は「偏差値」にこだわったのか

 そもそも、なぜ私は「偏差値」にこだわったのでしょうか。当初は、地元の公立中学から離れられたらそれでよかったはずです。娘の実力相応の学校で十分だと思っていたのに、いつしか「偏差値表の上の世界」にあこがれるようになっていました。受験をするのは娘なのに、親である自分自身の理想や願望を押しつけていったのでしょう。自分の人生では雲の上と思っていた世界に近づけるチャンスが訪れたような感覚だったと思います。「自分は成し得なかったことを娘ならできるかもしれない」と、秘めた可能性に賭けてみたくなったのです。

 しかし、自分の熱が高まれば高まるほど娘の気持ちを置き去りにしてしまっていました。どれだけ考えても解けない問題が続くプリントに、毎日何十枚も向き合って頑張っていた娘。きっと、「親をがっかりさせたくない、期待に応えたい」と無理をしていたのかもしれません。娘がこぼした「無理」という言葉に、親の期待が“毒”にもなるという事実を突きつけられ、目が覚めたような思いでした。

 娘の本音に気づいてからは、いつしか「偏差値至上主義」になってしまっていた自分が情けなく恥ずかしくなりました。娘に「気持ちに気づけなくてごめんなさい。ママが提案した学校は受けなくていいから、あなたが本当に行きたい学校を選んでいいよ」と伝え、SNSの情報に翻弄されたり、Xでつぶやかれる「成績優秀な誰か」と競ったりすることもやめました。

 その日から、娘主導の中学受験がようやく始まったような気がします。小6の6月のころです。

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