若者や子どもの語彙が貧相なものになっている……というのは、もうここ何年もよく聞く話。「なんでもかんでも『やばい』で済ますな」と思うものの、「ボキャ貧」なのは、子どもや若者だけではなく、立派な大人であるはずの私たち親世代もまた、同じなのだろう、としみじみ思う毎日だ。そんな自分の「ことば」がなんだか貧相になってきたように感じる大人にこそ、出会ってもらいたい絵本を紹介する。
その名も「目で見ることばのずかん」だ。
「絵本」と呼ぶには少々クールな「図鑑」と名乗る本だが、全面フルカラーの写真でシンプルな言葉が添えられるだけで子どもにもとっつきやすい。少ない言葉でありながら、写真の持つ圧倒的な説得力がダイレクトにガツンと伝わってくる「写真絵本」だと想像してほしい。
私は元小学校教諭という経歴を生かし、現在は学研教室を経営している。3歳から中学生までの子どもたちの学習指導にあたりつつ、自身もまた小学生二児の母である。本好きが高じて、絵本の読み聞かせや絵本の選び方についてなどのセミナーや講演、イベントも、長くおこなってきており、そんなご縁から、第2期AERA with Kidsアンバサダーも務めさせていただいた。
教室を営んでいるため、わが子以外にも毎日多くの子どもと接する機会がある私は、とりわけ「ことば」に関する感度を高く持っていたいと思って過ごしている。そんな私が「これは!」と思わず声がでるほど「いい!」と思った一冊だ。
「ことば」は生きていて、日々、絶え間なく進化し、変化し、淘汰されている。
特に子どもの世界では、大人のような秩序も法則もなしに、突如として改変されることもあり、「それ、なに?」は日常茶飯事。
ほんの数年前は、若者言葉としていろんな「短縮語」が世間にあふれていたっけ……。
それに加え、子どもとの会話では、時に何を言いたいんだか要点を得ない話や、オチの無い話、またあちこちに間違いがある話も「あるある」だ。
もちろん、そんな子どもの「つたない会話」は愛おしく、今しか聞けない宝の数々なのだけれど、そこにどう向き合い、伝える・返すかは、私たち大人の責務でもあると思う。
「ことば」は当然、知らないものは使えない。音として知っているだけで、本当の意味だったり、使い道を正しくわかっていないとやっぱりそれは「使えない」。
よく意味も知らずに大人びた用語を幼い子が発していると、なんだか滑稽でほほえましく思ってしまうものだが、これが歳を重ねていくと「ほほえましい」ではなく、なんだかこっちが恥ずかしくなる……というようなことが起きてしまう。
その言葉の本当の意味や、本来の使い方など、自分では当然わかっているつもりでも、実は違っていた、なんて経験はないだろうか。クイズ番組の回答を見ながら、自分が数十年も誤解し続けていたことに密かに驚いたり……。
「絵本」は、その絵を楽しみ、行間に浸り、自分の中に世界を広げて味わう、いわゆる「ものがたり」ばかりだと思われているかもしれないが、絵本の面白さは決してそれだけではない。
「ボキャ貧」に成り下がりつつある大人までもを、やさしく包み込んでくれる「ことば」の宝庫でもある。
この絵本は、絵本という形態を存分に活かし、「ことば」の世界観をまるごと味わえる「目からうろこ」の本である。
イメージするまでもなく、写真で「真実を写している」ページに、「ことば」が加わり、それぞれが単独であった時の何倍もの勢いで、言葉の持つ世界が広がる。
この絵本の中で紹介されていることばに、「ひっぱりだこ」や「ちやほや」など、もちろんよく知るものがでてくる。でもそれを「目で見た」ことはあるか? この絵本では、なんとそれを写真で見ることができるのだ。
「あふれる」と「こぼれる」の違いは? 「林」と「森」の違いは?
わかっていそうで自分がわかっていなかった「ことば」の数々をこんなに明瞭に目の前に示してくれた本がこれまであっただろうか!?
もちろん子どもと楽しむのも最高に楽しい。でも、大人はもっと楽しめるかも。
「ことば」を「見る」。その体験は、この絵本のページを開けば、すぐに「こういうことか!」と味わえるはず……!
(文/植木恭世)