小学校も高学年になってくると、子どもたちの間に「いっちょ前な人間関係」ができてくる。低学年のころとは違って、少し複雑で、少しほろ苦い。毎年のように、そんな子どもたちの中に渦巻いてくる人間関係の機微を、日々の雑務に追われて見過ごしてしまうことのないよう、気づける大人でいたいと思っている。
私自身は小6男の子、小2女の子を子育てしながら、運営している学習教室では、毎日100人あまりの子どもたちを指導している。教室のスタイルは一斉授業ではなく、個々のタイミングで来室し、個別最適化された課題に取り組むため、子ども自身に委ねられる部分が大きく、その分、子ども同士の関係性が見えやすい。
座席の位置で、なんとなくその日の気分や起こったことさえも、感じ取ることがある。壁に向いて一人で座りたい日もある。この前はあの子と隣で、今日はこの子と一緒に…といったように。
思いがけず、学年や性別を超えて意外な組み合わせで仲良くなる子たちもいて、そこにはいったいどんな「きっかけ」があったのか、と興味津々になることもある。
学校に通う意義として、「勉強」をすること以上に、こうした「人間関係」に向き合い、酸いも甘いも経験することにあるのではないかと常日頃思っている。
強い、弱い。仲がいい、悪い。組む、外す……。そして「駆け引きをする」…なんてことも。そうしたひとつひとつのコミュニケーションは、1対1の人間関係から始まり、グループ、組織、国、世界…と最終的には人のいるところ、すべてにつながっている。
『もし世界が1つのクラスだったら』は、世界というマクロな関係性を、今目の前にあるような「君と僕」レベルの話に落とし込むことで、リアルに、身近に、体感として「世界がわかる」ようなストーリーになっている。
日本くんをはじめとした、アメリカくんやドイツくん、フランスちゃんなど、国が一人の人格をもったキャラクターとして描かれ、「誰と誰が仲がいい」とか「仲が良かったはずなのに、あのことがきっかけでけんか(戦争)が始まった」とか、実際に昨日今日、教室の中で起きそうなことに置き換えて、示してくれている。
恥ずかしながら、なんとなく…で見聞きしてきたニュースだけでは、「なぜ、あの国が〇〇なのか」「なぜあの国とは仲良くなれないのか」など、実はわかっていなかったことがいっぱいだった。このマンガを読んで、それが「そういうことか~!」とまさに目からうろこで、クリアになってきた。
小学6年の息子も繰り返し読むのを楽しんでいて、ニュースで国名が出てくると、「ああ、アメリカと仲悪いもんな~」などと、大御所風を吹かせながらつぶやいている。
日ごろから教育情報に触れていると事あるごとに「ニュースや新聞を子どもと一緒に見よう」とオススメされるが、そもそも、国と国との歴史的なパワーバランスを知らないで触れるのと、理解したうえで触れるのとでは、響き方が全然違う。
小学校も高学年になってくると、先に述べたように、自分自身の身の回りでもいろんな人間関係を味わう。そんな多感な時期に差しかかった世代の子なら、より一層、一言で「戦争」というよりもその背景について思いを馳せられるようになるものだと思う。
まずは親が楽しむ。子どものものだけにしておくにはもったいない教養書であり、大人のものだけにしておくにはもったいない良質なエンタメだ。
(文/植木恭世)