教育と立身出世競争の癒着を引き剝がせ

 二つの方向性が考えられる。

 一つめは、「生まれ」の影響を完全に打ち消すような介入を行って、競争の公平性を保つ方向性。もう一つは、学力差や学歴差があったとしても、その差が社会に出てからの人生に過度な影響を与えないような社会システムに変えていく方向性。

 要するに、前者は教育格差をなくそうとすること。後者は学歴格差をなくそうとすること。どちらかでも緩まれば、親から子へと社会階層が相続されていく「親ガチャ社会」の構造がほぐされるはずだ。この構造を変えるのは、子どもでも親でも学校でもなく、社会全体の責任だ。

 学歴格差をなくそうと思ったら、企業の採用や雇用のあり方を全面的に見直さなければいけない。それよりは学校制度という限られたシステムの中で教育格差をなくすほうが簡単であるかのように多くのひとは錯覚する。

 しかし、教育格差の本質は、遺伝的要因までも含んだ親ガチャなのである。人間の意図では変えられない。それに対して、企業の採用や雇用のしくみは、人間がつくったもの。人間がつくったものなら、人間が変えられるはずだ。

 だから、教育格差よりも学歴格差を緩めることに重点を置いたほうが、社会階層の固定化を防ぐうえで即効性が高いのではないかというのが私の意見となる。もちろんどちらもやらなければいけないが、どちらが本丸かという話である。

 つまりは、明治時代以来続く、教育と立身出世競争の癒着を引き剝がすということ。するとおそらく、教育や学校に対する印象もがらりと変わるはずだ。

 学校は誰かと比較されるために行く場所ではなくなる。勉強は誰かと競い合うためにすることではなくなる。代わりに学校は、さまざまな得意をもった子どもたちが集まって、それぞれに役割を見つけ、チームとしていろんなことができる集団になる。

 教育は、競争ではなくて、もって生まれた才能の違いをそれぞれに伸ばして協力できるひとたちを育てるために行われるようになる。違いこそが価値になるなら、むしろ親ガチャ上等だ。

 実際、日本の教育は過度に競争的であるとして、国連は過去数回にわたって是正勧告を発している。いくら公平になったとしても、過度な競争が続くのは望ましくない。そのためには社会の側から変えていく必要があるのである。

 ただし、それには当然時間がかかる。それまでの間、学校の至らぬ部分をやりすごし、悪い意味で学校を支配する空気に染まらないための知恵を、子どもたちに授けることならできる。それをするのが目下の大人の責任だ。そんな思いを拙著『学校に染まるな! バカとルールの無限増殖』(ちくまプリマー新書)には込めている。

(教育ジャーナリスト・おおたとしまさ)

『学校に染まるな! バカとルールの無限増殖』(ちくまプリマー新書)
学校に染まるな! ――バカとルールの無限増殖 (ちくまプリマー新書 444)

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学校に染まるな! ――バカとルールの無限増殖 (ちくまプリマー新書 444)
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