【オリ・パラのうんちく】

 今ではプロ選手の参加が当たり前の五輪だが、かつては長い間、アマチュアリズムが重んじられてきた。

 野球、サッカー、テニスなどでプロ選手が五輪に出場し、活躍するのは、現在では当たり前の光景だ。しかし、以前の五輪は「アマチュアリズム」をとても大切にしていて、出場資格はアマチュア選手にしか与えられていなかった。

 アマチュアリズムとは、スポーツを生活の糧にしたり、賞金を得たりせず、純粋に楽しもうとする考え方だ。1839年、イギリスで行われたボートレースの大会で、肉体労働者を参加できないように定めたことをきっかけに、その考えはヨーロッパで広まり、94年に創設された国際オリンピック委員会でも取り入れられた。

 日本も同様で、1920年のアントワープ大会(ベルギー)マラソン予選会では、走ることを仕事にしている者は五輪参加資格なしとされ、当時、一般的な職業だった人力車の車夫、牛乳配達夫などは五輪に参加できなかった。ほかの大会にこうした職業の人たちが出て優勝し、ほかの参加者から不満が出るケースもあったという。

 こうしたアマチュアリズム重視の姿勢は何十年も続いた。しかし、競技水準が上がると、勝つためにはより高いレベルでの指導や練習が必要となり、プロとアマの境界があいまいになっていった。そんななか、国際オリンピック委員会もアマチュアリズムに別れを告げ、72年には五輪憲章から参加資格の「アマチュア」という言葉が削除され、以降、少しずつプロが増えていった。プロリーグのない競技でも、体操の内村航平選手のように、大会での活躍を機にプロとなり、テレビCMやイベント出演などで収入を得る選手も出てきている。

ジュニアエラ 2020年 02 月号 [雑誌]

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AERA編集部
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