安浪:そういう話をすると、詰め込みはダメなんですか?でも知識は必要ですよね?、と言われることがあるんですけど、当然、ものを考えるときに知識は必要です。例えば、算数の図形問題で「うちの子はセンスがないから補助線が引けないんです」という相談をたくさん受けますが、まず知識を身につけて、実際にたくさんの問題を解いた上で補助線は見えてくるものなんです。ものを考える道具としての知識は必要です。その企業の方が言っているのは、勉強してきたことが体に落とし込めているのか、それとも単に詰め込まれてしまっているだけなのか、ということを言いたいのかもしれないですね。その違いは難しいですけれど。

矢萩:やっぱり知識の質だと思います。道具として使える知識はあったほうがいいし、できるだけたくさん獲得してほしいのは当然です、だけど道具として使えない知識、道具にはならないような知識をテストや受験に出るからという理由だけで詰め込まなければならない環境やシステムに問題がある。さらに、それを詰め込むことに多くの時間を使ってしまって、他のいろいろな体験ができていないことのほうが、問題が大きいかもしれません。

安浪:少しでも偏差値が高いところへ、と思っているとその部分を見落としてしまいますね。でもこのお母さんは大丈夫だと思うんですよ。こうやって悩んでいらっしゃるわけだから。われわれにとって一番つらいのは、偏差値が少しでも高いところを目指すのは当然、と強く思い込んでいるご家庭から相談を受けることです。

■偏差値は塾が操作するものだから絶対じゃない

矢萩:少しでも高い偏差値を望んでいたとしても、決め手が偏差値だけじゃなかったらいいと思うんです。学校に行ってみたらこういう雰囲気が良かったとか、校長のこんな話が刺さったとか。もしそういったものが全くないのに少しでも高い偏差値のところを目指しているとしたら、それは学校をちゃんと見られていないということです。あと、この質問で気になるのは、お母さんがつらいって言っているけれど、お子さん自身はつらいのかどうなのか、ということ。そこはちゃんと見てあげてほしいです。

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