屋代陽平(やしろ・ようへい、右):1989年生まれ。2012年ソニーミュージックグループ入社。19年YOASOBIプロジェクトを発足/山本秀哉(やまもと・しゅうや):1988年生まれ。2012年ソニーミュージックグループ入社。19年からYOASOBIプロジェクトの立ち上げに参画(撮影/写真映像部・東川哲也)
屋代陽平(やしろ・ようへい、右):1989年生まれ。2012年ソニーミュージックグループ入社。19年YOASOBIプロジェクトを発足/山本秀哉(やまもと・しゅうや):1988年生まれ。2012年ソニーミュージックグループ入社。19年からYOASOBIプロジェクトの立ち上げに参画(撮影/写真映像部・東川哲也)
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 ソニーグループが営業利益1兆2023億円(2022年3月期決算)をたたき出した。営業利益1兆円超えは国内製造業ではトヨタ自動車に次ぐ2社目だ。家電の不振から復活した原動力は、そこで働く「ソニーな人たち」だ。

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 短期集中連載の第1回は、人気ユニット「YOASOBI」を生み出した30代の2人。ソニー・ミュージックエンタテインメントデジタルコンテンツ本部の屋代陽平さん(33)とソニー・ミュージックレーベルズ第3レーベルグループエピックレコードジャパンの山本秀哉さん(34)だ。AERA 2022年11月21日号の記事を紹介する。(前後編の後編)

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 YOASOBIのファンの多くはデジタルネイティブ世代である。

 東京都世田谷区内のある小学校で、こんなシーンが見られた。20年3月のことだ。コロナ禍で給食時間の校内放送が中止され、会話も禁止になった。5年生の教室で“黙食”は寂しいからYOASOBIの曲を流そうとなり、担任も許可を出した。給食の時間になると毎日、「夜に駆ける」が流れた……。

 彼らは、ゲーム、スマホとともに育った。ヒット曲は、SNS(交流サイト)で最初に知る。彼らにとって、YOASOBIは“常識”だった。つまり、時代の背景を抜きにヒットは考えられない。

人気ユニットYOASOBIの誕生は元気なソニーの象徴だ(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)
人気ユニットYOASOBIの誕生は元気なソニーの象徴だ(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)

 そういえば、屋代がAyaseを、Ayaseがikuraを見つけたのはニコニコ動画やInstagramだし、Ayaseの曲づくりはコンピューター一台で完結するいわゆるDTM(デスクトップミュージック)だ。さらにマーケティングもひと昔前とは異なる。従来のプロモーションは、お金を使ってテレビやネット上で「告知」するのが主流だったが、YOASOBIは違う。SNSを駆使し、デジタルネイティブたちに訴えてファンの熱量を高めていく。その過程にはマーケティングDX(デジタル・トランスフォーメーション)が実践されている。

 彼らの働き方は、じつにスマートだ。バランス感覚に優れているといったらいいか。超多忙なはずなのに、「汗」や「涙」の悲愴感はない。「必ず成功してやる」という欲深さもない。平成の「低成長」や「停滞」の単語に象徴される暗さもない。

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