稲垣えみ子「中村哲さんのような『かけがえのない人』に、誰もがなれる可能性がある」 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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稲垣えみ子「中村哲さんのような『かけがえのない人』に、誰もがなれる可能性がある」

連載「アフロ画報」

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稲垣えみ子AERA#稲垣えみ子
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

大変遅まきながら、ペシャワール会の会員になることにした。できることは今やるのだ (c)朝日新聞社

大変遅まきながら、ペシャワール会の会員になることにした。できることは今やるのだ (c)朝日新聞社

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】亡くなった中村哲さんを悼みキャンドルをともす有志たち

*  *  *
 ペシャワール会の中村哲さんが亡くなった。夕方のラジオで訃報を聞いた時、神様やめてくれ、と思った。お会いしたこともないし、恥ずかしながらその活動の詳細を知っていたわけでもない。でもなぜか折に触れ、中村さんのことを考えることがあった。一人の人間ができることの限界と、だからこその可能性と。それを身をもって実行した中村さんに憧れ、自分なりに影響を受けていたのだと思う。

 翌日、東京は快晴だった。大きな人を失っても世界は続いていく。新聞で事件の詳細と、中村さんの人生を読む。

 改めて知ったのは、中村さんはいわば偶然、流れ流れて今の活動にたどり着いたということである。昆虫好きで、珍しいチョウが見られるかもと山岳会の遠征隊に医師として参加。なのにパキスタンの村で「医師が来た」と歓迎され、しかし間に合わせの診療しかできず、その後ろめたさから現地を繰り返し訪れることになった。そしていつしか井戸を掘る人になり、世界を確実に変えたのである。


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