出雲阿国(左)と世阿弥(イラスト/森ゆきなつ)
出雲阿国(左)と世阿弥(イラスト/森ゆきなつ)

 32のテーマごとに、日本の歴史を彩った魅力的な人物ふたりが47都道府県の代表として登場する、『歴史人物ケンミンバトル』。「日本の伝統芸能の元祖」のテーマでは、新潟県ゆかりの世阿弥と島根県ゆかりの出雲阿国が激突。芸術性なら世阿弥の能、娯楽性なら阿国の歌舞伎に軍配?

*  *  *

■将軍をとりこにした能の大成者――世阿弥

 日本の伝統芸能のひとつである能は、もともとは猿楽(※1)という庶民の娯楽だった。それを、父・観阿弥とともに能という芸術にまで高めたのが、室町時代に活躍した世阿弥だ。
 美少年だった世阿弥は、その美貌と美しい舞で、室町幕府3代将軍・足利義満をとりこにしてしまう。義満の熱心な支援を受けた世阿弥の舞は、高貴な芸術として、武士や貴族の間で大人気となった。

 ところが、よき理解者だった義満の死後は、6代将軍・足利義政の理不尽な怒りにふれて佐渡島に流されるなど、不遇のうちに人生を終えることになった。

■「天下一の踊り」歌舞伎の元祖――出雲阿国

 対するは、歌舞伎の元祖といえるかぶき踊りを始めた出雲阿国。彼女は出雲大社の巫女を名乗っていたといわれる。

 かぶき踊りは、男性の格好をした阿国が、簡単なストーリーに沿って歌い踊るというもので、瞬く間に人々の間で大人気となった。阿国の踊る姿は庶民だけでなく、時の権力者も魅了し、「天下一」とたたえられたという。

 こうした阿国の人気にあやかって、女芸人たちが次々とかぶき踊りをまねし始めたために、江戸時代の初めには日本各地で「女歌舞伎(※2)」が流行し、やがて現在の歌舞伎の誕生につながっていった。

■能は高尚な芸術、歌舞伎は庶民の娯楽に

 茶の湯や浮世絵など、日本の伝統文化は、室町時代から江戸時代にかけて確立されたものが多い。

 このふたりが確立した能と歌舞伎も、庶民の娯楽として親しまれた踊りをもとに、室町時代から江戸時代にかけてつくりあげられた。

 もっとも、世阿弥が完成させた能が、将軍の支援のもと、身分の高い人々が楽しむ高尚な芸術になったのに対して、阿国に始まる歌舞伎は、身分の高い人々も楽しみはしたが、庶民の娯楽であり続けたという違いがある。

※1猿楽=こっけいな物まね芸。
※2女歌舞伎=女性を中心とした歌舞伎。のちに風紀が乱れるとして禁止され、代わって男性だけの歌舞伎が生まれた。

次のページ
世阿弥と出雲阿国の素顔は?