女子スキージャンプ界を牽引し続ける高梨沙羅さん。スキージャンプの時間を確保するために、インターナショナルスクールへの進学を決めるなど、常に自らの道を自分自身で切り開いてきました。「AERA with Kids夏号」(朝日新聞出版刊)では、つかの間のオフの時間に高梨さんにインタビューをしました。

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「スキージャンプの選手って夏の間は何をしているの?」とよく聞かれます(笑)。スキージャンプというと、冬だけ活動していると思われがちですが、実は試合は夏にもあるのです。毎年、3月にワールドカップを終えて日本に戻り、5月からはまた練習を再開します。日本で一番早くジャンプ場がオープンするのが、5月だからです。ですからオフは3月から4月の1カ月ほど。そこから本格的に国内外で合宿を組むなど、ジャンプ一色の生活になります。

 私が生まれた北海道上川町は、雪山で遊ぶのが当たり前の生活で、幼いころから皆、スノースポーツに親しんでいました。ジャンプを始めたのは、小さなコブを飛んでいる友達を見たのがきっかけです。「私もやってみたい!」と思い、遊びの延長で始めました。父が地元の少年団でジャンプを教えており、兄もそこで習っていたので、私も加わることになりました。8歳のころです。父の教えは厳しく、「できなかったらやめろ!」と言われていました。ただ私は負けず嫌いなので、「やります!!」と言って食らいついていきました。私の性格をわかって、父がそのように言っていたのかまでは、いまだにわかりませんが(笑)。

 少年団といっても、女の子も多かったので、特別な感じはありませんでした。最初は低いコブのようなところを飛ぶ練習から始め、それから少しずつ高さを上げていきました。

 とはいえ、ジャンプばかりやっていたわけではありません。母の勧めでピアノとバレエも習っていました。ピアノは5年生ごろまで頑張ったのですが、両立が難しくてやめました。バレエは4歳ごろから始め、中学生まで続けました。大好きだったので、ジャンプと両立するようにしていたのですが、ワールドカップに出場するようになり、遠征も増えてくると、練習の時間が取れなくなってしまいました。

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AERA編集部
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