小島慶子(こじま・けいこ)/タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族のいるオーストラリアと日本との往復の日々。オーストラリア行きを決断した顛末を語った新刊『これからの家族の話をしよう~わたしの場合』(海竜社)が発売中
小島慶子(こじま・けいこ)/タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族のいるオーストラリアと日本との往復の日々。オーストラリア行きを決断した顛末を語った新刊『これからの家族の話をしよう~わたしの場合』(海竜社)が発売中

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

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 先日、仕事で京都に行ったついでに、お寺のお庭を見に行きました。たまたま他に人がおらず、名庭を独り占め。蝉しぐれの中、白いキキョウの花が夏風に揺れるのをしばし眺めて過ごしました。

 そうやってお寺を巡る時には、ご本尊に手を合わせます。神社に行っても手を合わせます。教会に行けばこれまた手を合わせますし、以前モスクを訪れた時にも、入り口に置いてあったスカーフで髪を覆い、頭を下げました。いずれも目的は建物や庭を見るためなのですが、そこに祈りの場があるなら、敬意を表するのが自然だと思うからです。特定の宗教を信仰している人から見たら無節操なのかもしれないけれど、私にとっては、知らない人と目が合ったら微笑むのと同じような感覚です。

 宗教の違いはあっても、祈る人の姿には同じ静けさを感じます。生きることは、不安とともに歩むこと。その不安を誰かに打ち明けたいのは、みんな同じなんじゃないかと思います。人生には、悲しみや苦しみや孤独の中で「なぜ」と問わずにはいられない時や、不思議な巡り合わせや、今この瞬間の尊さへの感謝を誰かに伝えたいと思う時があります。私が信仰しているのは、そんな時に「もしかして神様がいるんじゃないか?」と思わずにはいられない、人間の気持ちなのかもしれません。

 信じる神様が違っても、あるいは信じるのが神様ではなくて科学や美術や音楽や文学であっても、生きることの不可解さや喜びを何かで語ろうとすることに変わりはありません。そこに私は希望を感じます。友達になるなんて絶対に無理!と思うような人にも不安に震える夜があるだろうと思うと、かすかな共感を覚えるのです。

 そのかすかな道をたどるためには、何が必要なのだろう、と京都の蝉しぐれを浴びながら思いを巡らせました。答えは出ません。信じることと考えることは、似ているけれど少し違うと思いました。

AERA 2017年8月7日号

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小島慶子

小島慶子

小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。共著『足をどかしてくれませんか。』が発売中

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