「当時は音のインテリアをめざしていたのだと思います。部屋にある家具や絵画のように、音で空間を満たしていく」(J-WAVE編成局長・久保野永靖さん)

 ところが日本経済の凋落とともに日本人の意識がドメスティックになり、海外の楽曲や情報に対するニーズが低くなる。代わって聴かれるようになったのがJ-POP。この言葉を生み出したのもまさにJ-WAVEなのだが、音楽が流れてさえいればいい、という要求は影を潜め、「Talk」が「Less」ではなくなる転換点を迎えることになる。

「J-WAVEって何だろう? と、もう一度考えた時に、“われわれは都市生活者のためのメディアである”という発想転換がありました」(久保野さん)

 音楽以外で都市生活者に提供できるものは何だろう。そこで夜の20時という、プロ野球中継に全部持って行かれているような時間帯にニュース中心の「JAM THE WORLD」をぶつけた。

 スタートは2001年10月1日。奇しくも9.11事件直後のことだった。事件発生前から番組開始は決定していたものの、結果的に時代を先読みした番組編成となった。(ライター・北條一浩、小田部 仁、まつざきみわこ)

AERA  2016年3月14日号より抜粋