日本の政治には「株式会社」的な論理が働いている?
日本の政治には「株式会社」的な論理が働いている?

 日本は70年前、平和国家として再出発した。その安全保障政策を大きく変える法律を、国会議員たちがこの秋に成立させた。選挙で選ばれた多数派がものごとを決める。確かに、それが民主主義だ。しかし、それだけが民主主義なのか? 近年の日本政治には、どこか「株式会社」的な論理が働いているように見える。

 自民党内のハト派を代表する派閥・宏池会の会長まで務め、野党との折衝を担う国会対策畑が長かった古賀誠・元幹事長はこう苦言を呈する。

「これほど重要な法案を国会に出す前には、かつての自民党なら侃々諤々(かんかんがくがく)の議論がなされたはずです。しかし、今回は党内の議論はほとんどなかった。同じ党から1人しか立候補できない小選挙区制のもとで、人事と資金を握る官邸や党執行部の力が強くなりすぎ、リーダーの独走を抑える機能が働かなくなってしまったからです。国会審議にしても、私が国対委員長ならあと一国会でも二国会でも時間をかけたでしょう」

 安保法制だけではない。安倍政権のもとで荒っぽい政治手法が目立つ。沖縄県側が強く反対する米軍普天間飛行場の県内移設は、異例の「国対県の法廷闘争」に持ち込んでまで推し進める。憲法の規定にのっとって野党が10月に求めた臨時国会の召集も、安倍首相や閣僚が外交で忙しいといった理由で拒んだ。

「今は政権内部に競合相手はいないし、野党も弱い。誰かにとって代わられるかもしれない、という緊張感がない。安倍政権の立場から見れば、合理的な行動なのです」

 東京工業大学の西田亮介准教授(情報社会論)はそう解説する。

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