芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、「性格」について。

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 その人特有の性質がある。それを性格という。持って生まれた性格はそう簡単に変えられないように思う。いい性格の人も悪い性格の人もいるようだが、僕が思うに、性格がいいとか、悪いとか、本来そんなものはないような気がする。それが良く見えたり、悪く見えたりするのは、時と場合によって、そう見えるだけで、受け取る側の問題のような気がしないでもない。どうも性格は欲望と結びついているように思う。欲望のない人はいないので、相手の欲望を受け入れるか、それに抵抗するかによって、性格は長所になったり、短所になったりするだけの話ではないだろうか。

 そこで、自分の性格を考えてみよう。一口に言って僕の性格は、どうも子供っぽいというか、未熟性と幼児性に支配されているように思う。それを「直せ!」と言われたって直らない。また直してしまったりすると自分ではなくなる。僕は芸術にたずさわった仕事をしているが、創造の根源に不可欠な要素として未熟性と幼児性が必要である。一般的な大人がわかり切ったようなことを言ったり、したりするのを見ていてゾッとすることがある。こういう大人は、世間一般の常識や通念を引っぱり出して、社会的、道徳的な説教をする。そして如何にも知的な教養人のふりをする。そして本人はそれで充分満足しているのであるが実は芸術にとって、このような人種は敵である。

 もし、僕がアーティストでなければ僕の性格は困り者の人間に属するかも知れない。つまり未熟性と幼児性が、創造以外の場所で発揮された場合である。僕の性格は基本的に優柔不断で、何をやっても飽きっぽい。なぜなら気分で行動するからだ。計画を立てたり、予定を組んで、下調べをちゃんとやって行動するのが苦手である。また何をするにも練習が大嫌いだから、いきなり本番でなきゃ、力が発揮できないのである。

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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