破綻会見で涙を流す山一証券の野澤正平社長=1997年 (c)朝日新聞社
破綻会見で涙を流す山一証券の野澤正平社長=1997年 (c)朝日新聞社

 平成の終わりまであと4カ月。30年間には様々な出来事があり、そこには言葉があった。私たちを感動させたあの名言から、世間を騒がせた失言までさまざまだ。特別背任容疑で逮捕された日産自動車前会長のカルロス・ゴーンは従業員の大リストラ策を発表。「日産の将来にとって、これしかない。理解をえられるはずだ」と言い切り、話題を呼んだ。「不況」から平成30年を読み解く。

【名言から失言まで 平成をにぎわせた100人の発言録をご紹介!】

「失われた30年」

 バブル崩壊後の不況のトンネルは長い。失われた10年が20年に延び、いまでは30年とも言われる。

 バブル絶頂だった89年末、日経平均株価は3万8915円の史上最高値をつけた。国や日本銀行が景気過熱を抑えようとした結果、天井知らずだった土地や株が急落。不良債権が膨らみ、金融危機が起きた。

「社員は悪くありません」

 山一証券の社長だった野澤正平は、自主廃業申請を発表した97年11月の記者会見で号泣した。

 金融担当相の竹中平蔵は金融機関に「公的資金」を投入。事実上の税金で銀行は救われたが、庶民はリストラの嵐にさらされた。

 金融、流通、メーカー……昭和の時代に成長した産業が伸び悩むなか、新風を吹き込んだのはIT関連業界だ。孫正義、三木谷浩史をはじめとした起業家が率いるITベンチャーが大企業に成長し、株式市場をにぎわせた。

 08年のリーマン・ショックもあって非正社員が増え、格差は深刻化。コストカッターとして称賛された日産自動車前会長のカルロス・ゴーンの発言は、特別背任容疑で逮捕後のいま振り返ると違って聞こえてくる。

 経済の苦境に追い打ちをかけたのが災害だ。91年には長崎県の雲仙・普賢岳で大火砕流があった。95年の阪神・淡路大震災では、犠牲者は6400人を超えた。11年3月11日の東日本大震災では、巨大な津波が襲い、死者・行方不明者は1万8千人超。さらに東京電力福島第一原子力発電所で事故が起こり、「原発神話」は崩壊した。

 官房長官だった枝野幸男は「ただちに影響はありません」と繰り返したが、健康被害への懸念は解消されていない。(本誌取材班)

週刊朝日  2019年1月4日‐11日合併号