選挙での惨敗が麻原彰晃を凶行へ… 背景に幼少時代のトラウマ <麻原彰晃の真実(2)> (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

選挙での惨敗が麻原彰晃を凶行へ… 背景に幼少時代のトラウマ <麻原彰晃の真実(2)>

このエントリーをはてなブックマークに追加

松本智津夫被告は90年、「真理党」を結成し、総選挙に打って出たが惨敗した (c)朝日新聞社

松本智津夫被告は90年、「真理党」を結成し、総選挙に打って出たが惨敗した (c)朝日新聞社

オウム真理教が衆院選に向けて結成した政党「真理党」の街頭演説。麻原彰晃(松本智津夫)党首と信徒たちが、選挙カーで支持を訴えた (c)朝日新聞社

オウム真理教が衆院選に向けて結成した政党「真理党」の街頭演説。麻原彰晃(松本智津夫)党首と信徒たちが、選挙カーで支持を訴えた (c)朝日新聞社

 6日、法務省が発表した、オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら7人の教団元幹部の死刑執行。多くの謎を残したままの死刑執行に、様々な声が挙がっている。麻原彰晃とはどんな人物だったのか? 6千人を超す死傷者を出した地下鉄サリン事件から17年となった2012年。最後の特別手配犯3人の逃亡生活にピリオドが打たれた年に発売された『週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」』で徹底的に取材した麻原像を、特別に公開する。日本中を、いや世界を震撼させたオウム事件とは何だったのか。「尊師」と呼ばれた男の半生と、テロにつながった「狂気」の全貌を、全3回で明らかにする。

【「真理党」の街頭演説の様子】

*27歳ですでに詐欺師… 麻原彰晃はどうやって出来上がったのか?<麻原彰晃の真実(1)>よりつづく

*  *  *
■オウムの誕生

 83年になって麻原彰晃と名乗り始めると、翌84年2月、教団の前身となるヨガサークル「オウム神仙の会」の主宰として、再び世に出てきた。

 85年には、座禅を組んだまま浮き上がる「空中浮揚」に成功したとオカルト誌に売り込み、写真を掲載させた。矢継ぎ早にトップの著作を出版し、組織を大きく見せる戦略は、先行する新興宗教と同じ手法だった。

 教団の資料によると、麻原は86年1月に修行の本場であるインドを訪問し、同年夏にヒマラヤで「最終解脱」を果たした、とされる。

 わずか15人で発足した「オウム神仙の会」は、86年には東京世田谷区に東京本部、87年には大阪市淀川区に大阪本部をつくり、設立から3年半で信徒を1300人にまで増やした。

 そして87年7月、「オウム真理教」に改称。全国各地に支部や道場を建設し、教団の拡大を図った。

 信徒の増加にともなって、営利追求の姿勢も露骨になっていった。

<解脱特別修法10万円、グルヨーガイニシエーション30万円、血のイニシエーション100万円……>

 修行マニュアルが体系化されて法外な料金を取るようになり、布施も制度化されていった。



トップにもどる 週刊朝日記事一覧

続きを読む

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい