霊屋にしろ浮世絵にしろ、文化財は時を経れば傷む。御霊屋を見学される際には普通の方は外から中の天井画を見上げるが、当主の私は思わず床を見下ろし、漆の傷み具合を気にしてしまう。時々勘違いされる方がいらっしゃるが、国の重要文化財であっても国に所有権がなければ、補修の費用は、一部補助はあるものの所有者に負担が発生する。絵画とて同様であり、また普通は補助すらない。幸いにも長国寺がきちんと管理してくださっているので個人負担はないが、普通は賄えるものではない。そのため普段の取り扱いには大変気を使っている。たとえば12歳と9歳の息子たちが御霊屋に入る際には、畳の真ん中を踏むように口酸っぱく言っている。これは戦国の世のように畳の隙間から刀で刺されるからではない。畳の縁を踏むと傷むからである。

 幸道の霊屋は本堂の裏手にある開山堂として使われている。明治19(1886)年の本堂再建の際に移築された。信之の霊屋に比べて質素ですねと指摘を受けたことがある。理由を知る由もないが、藩祖との格の違いだけでなく、当時の財政状況も考慮されたのであろう。

 長国寺の本堂は明治に建てられたものであるが、庫裡(くり)は平成9年に再建されたものである。庫裡の再建の際には、当時のご住職の並々ならぬ苦労があった。再建前の庫裡は旧松代藩文武学校の槍術所の建物を移築し使っていた。しかし文武学校に戻すことになったため、新しい庫裡を建築する必要に迫られたのである。檀家からの寄付だけでは賄いきれず、ご住職が私財を投じた。余談ではあるが、その費用に充てるため、ご住職は多数の禅の書物に加えて推理小説まで書かれ、民放の2時間ドラマにまでなった。主人公の名探偵はもちろん、お寺の住職という設定であった。

週刊朝日  2015年11月20日号