280年間続く“黒森歌舞伎” 他の地芝居と大きく違う特徴とは 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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280年間続く“黒森歌舞伎” 他の地芝居と大きく違う特徴とは

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黒森少年歌舞伎「菅原伝授手習鑑」車引の場。黒森小学校では、歌舞伎を総合学習として取り入れ全面的にバックアップしている(2015年2月17日)(撮影/明緒)

黒森少年歌舞伎「菅原伝授手習鑑」車引の場。黒森小学校では、歌舞伎を総合学習として取り入れ全面的にバックアップしている(2015年2月17日)(撮影/明緒)

「伽羅先代萩」奥御殿の場。乳人・政岡がわが子の亡きがらを抱き、天を仰ぎ見る(2014年2月15日)(撮影/明緒)

「伽羅先代萩」奥御殿の場。乳人・政岡がわが子の亡きがらを抱き、天を仰ぎ見る(2014年2月15日)(撮影/明緒)

 山形県酒田市に古くから伝わる地芝居の黒森歌舞伎。遠方からわざわざ見に来る人もいる、県の無形民俗文化財だ。極寒の中で、演じる役者たち。彼らが生み出す日本の“心”を写真家の明緒が体感してきた。

【黒森歌舞伎フォトギャラリー】

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 今年も、2月15日と17日に、山形県酒田市黒森地区で黒森歌舞伎が上演された。黒森歌舞伎は、280年間途切れることなく受け継がれてきた、地元の人たちが演じる農村歌舞伎(地芝居)である。江戸時代、都市から村にやってきた歌舞伎を見て愛好するようになったのが始まりという。上演知識や技術は、江戸で見聞してきた芝居好きの村人や旅役者が、農民たちに伝えたといわれている。

 他の地方にも地芝居が残っているところがあるが、黒森歌舞伎の最大の特徴は毎年2月の厳冬期、必ず同じ日に上演すること。野外の客席で観劇中に雪が舞い降りてくることもあり、「雪中芝居」とも呼ばれている。

 なぜこんなに寒い時にわざわざと思うが、地元の鎮守・日枝神社の道祖神祭の日なので、どんなことがあっても公演日を変更したことはないという。都市の歌舞伎は興行だが、地芝居は基本的には五穀豊穣を祈願して土地の神に奉納する祭事なのだ。

 役者、大道具など裏方も含めた一座は「妻堂連中」といい、座員50人のうち農家は約3割。昔は専業農家の長男しか参加できなかったが、今は介護士や建築業など仕事もさまざまだ。ただ、舞台に立てるのは、黒森出身の男子のみ。

 庄内地方は農作物が豊富で、春、夏、秋と野菜や米、果物の収穫に追われる。農閑期に入ると、「そろそろ歌舞伎が始まるな」と思うそうだ。黒森の一年は、歌舞伎を中心に回っていく。

 黒森の役者たちは、とても陽気でシャイだ。本番の日、楽屋ではよく笑いおしゃべりも絶えないが、化粧はひとり静かに鏡に向かい施す。白粉や紅をのせる指先と眼差しに、彼らの一途で熱い思いがほとばしる。

 地芝居の演目は「仮名手本忠臣蔵」や「義経千本桜」など、時代物の名作が多い。普段身につけることのない華やかで非日常的な極彩色の衣装をまとい、情感たっぷりに演じる。年に2日だけの、村人たちの祭典。「雪が降ると、芝居の虫が騒ぎ出す」と、誰かが呟く。そして「飲まないと恥ずかしい」と言って、出の寸前に御神酒をくいっと頂戴するのだ。

 後継者や運営費などの課題はあるが、不思議と彼らに悲壮感はない。「義務感だけじゃ続けられない。楽しいからやっている」「黒森が好き。小さい頃から生活のなかに歌舞伎があり、特別なことをしているとは思っていない」という。

 村のために歌舞伎をやる、歌舞伎があるから村を愛する。ボランティアも多く、黒森の約360戸全部が寄付金を納めてくれるという。村全体が歌舞伎への協力を惜しまない。そして、役者、裏方、観客が一体となって芝居をつくり上げ、野外で楽しむ。江戸時代の地芝居を、生きた形で今もここに見ることができる。黒森には、日本の芝居のもうひとつの原風景があった。

(文・明緒)

週刊朝日 2015年3月13日号


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