50歳になったとき、中井貴一さんは初めて自分の“死期”を意識した。20歳になったときも、30歳のときも40歳のときも、特別な感慨はなかった。でも50歳になったとき、「この先の人生が、ただキレイにまとまってしまっては面白くないな」と思った。

「せっかく芝居を続けてきたんだから、ここから自分がどれだけ成長できるか試してみたいと思ったんです。もういっぺん人生をポジティブに考えるというか、タンスの引き出しから荷物を全部引っ張り出しちゃうような、そんな感覚でした(笑)」

 映画でもドラマでも、「越権行為にならない程度に」自分の意見を伝えるようにしている。判断基準はただひとつ。“台詞がきちんとお客さんに伝わるかどうか”。それだけだ。

「最近つくづく思うんです。僕らの仕事は、お客さんのためにあればいいんだって。だから、『うるさいな』と思われるかもしれないけれど、お客さんに対する責任として、台詞を声に出したときどう伝わるかにはこだわっています。日本人って、ディベート的なことは得意じゃないんですよね(苦笑)。でも、そこはちゃんと建設的な話し合いができる業界にしていきたい。内輪で仲良くなって盛り上がっている現場は苦手で。いいものを作るのに、僕らの和気あいあいなんて必要ない気がするから」

 映画「柘榴坂の仇討」で共演した阿部寛さんとも、敵役としての緊張感を保つために、撮影中は挨拶程度しか口をきかなかったという。

「今回ほど“身体から役を離さないようにしよう”“常に役と共感していたい”と思ったことは、なかったかもしれません。正統派の時代劇が減っている中、武士の覚悟とか誇りを、正面切って描いた作品は珍しいと思うんです。でも演じながら、武士道というのは、大なり小なり日本人の男子の気質の中に残っているんだろうなと、感じることができました」

 映画の中で、中井さんの演じた志村金吾は、“武士の矜持”を、最後まで貫いた。“矜持”ということに対して、誰もが考えさせられる作品に仕上がっているが、中井さんにとって、“俳優としての矜持”とは?

「以前、ITの関係の仕事をしている人に、『中井さんの仕事はいいですね』と、しみじみ言われたことがあったんです。彼曰く『僕たちの仕事は、いかに人間を減らして、便利にするかを考えているけれど、それは自分たちの首を絞めることにもつながってしまう。でも俳優の仕事は、お客が人間で、人間を見に行く限り永遠に残る』って……。その話を聞いて、だとしたら僕ら俳優は、より人間的であらねばと思った。欲や哀しみや笑いを創り上げていくために、俳優は世間からズレた存在でもいい、なんて言う人もいるけれど、僕はまず人間としての感性を豊かにしたい。そうすることで、俳優としての感性もすぐれていくはずだと、常に自分に言い聞かせています」

週刊朝日  2014年9月26日号