「やられていたべな」 被災者が「避難渋滞」でつぶやいた不安 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「やられていたべな」 被災者が「避難渋滞」でつぶやいた不安

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地震後、宮城県気仙沼市では高台に向かう車で道路が渋滞した (c)朝日新聞社 

地震後、宮城県気仙沼市では高台に向かう車で道路が渋滞した (c)朝日新聞社 

 津波の到来を警告するサイレンの音が、薄闇の町中に鳴り響いた。12月7日午後5時半、宮城県石巻市の会社員、日野正雄さん(65)は、自家用車に子ども2人と孫1人を乗せ、高台に向かって走った。だが、幹線道路は渋滞で身動きできなくなった。

「地震そのものは震度4で驚くほどではなかったのよ。でんも津波警報が出てたでさ、慌てて車に乗ったんだけども……」

 ハンドルを握りながら、あの日のことを思い出した。2011年3月11日、同僚が目の前で、車ごと津波にのみ込まれて亡くなった。刻々と時間が過ぎる。車は進まない。ついに渋滞の中で、津波の到達予想時刻の午後5時40分を迎えてしまった。日野さんは言う。

「結局、山の上に行くまで2時間かかってしまいました。万が一、去年と同じ津波が来ていたら私たちもやられていたべな。津波が低くて命拾いしました」

 震災から1年9カ月、かつて漁業で栄えた石巻の市街地は、魚市場が再開し、活気を取り戻しつつあるように見える。しかし、低い山を一つ越えた沿岸部には津波の爪痕が残る。

 かつて沿岸部で暮らし、いま仮設住宅に住む人は多い。津波で親族7人を亡くした菱沼たきこさん(63)もその一人だ。

「震災のときは、押し入れの天袋に3日閉じこもってね、ギリギリで助けてもらったのよ。今回は弱い揺れから始まったけんども、次第に横揺れが強くなってきて。震度1でも私は本当にいや。どうしてもあの日を思い出してしまうんでね」

 あの3.11も、同じ金曜日の午後だった。とりわけ昨年4月以来、1年8カ月ぶりに出た「津波警報」は、悲惨な記憶をよみがえらせた。石巻市では実際に高さ1メートルの津波を観測。気象庁は、12月7日に広い範囲で最大震度5弱を観測した地震を、東日本大震災の余震と位置づけた。

 被害がそれほど大きくなかったとはいえ、今回のマグニチュード(M)7.3という地震のエネルギーは阪神大震災と同じだった。原子力規制委員会は、福島第一、第二原発など太平洋側の各原発について、異常は今のところないというが、原発は大丈夫か、と不安を抱いた人も多かったろう。

 今回の地震から学ぶべき課題は少なくない。たとえば、津波からの避難路の渋滞対策はその一つだろう。

週刊朝日 2012年12月21日号


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