ヒゲの殿下と親しまれた寛仁さまが、16回にも及ぶがんに伴う手術の末、破天荒な生涯の幕を閉じた。66歳だった。

 寛仁さまの葬儀は、長女の彬子さまが喪主を務める。宮内庁の発表を開いて、おやっと感じた人はいないだろうか。妻の信子さまではないのか、と。

 戦後に亡くなった男性皇族は、秩父宮さまと高松宮さま、高円宮さまの3人で、葬儀ではいずれも妻が喪主を務めた。宮内庁に尋ねてみると、

「寛仁殿下のご意向です」

 とのこと。どういうことか。知人が明かす。

「ご夫妻は何年にもわたって別居状態で、寛仁さまは複数の知人に『家庭内に問題がある』と漏らしていました。冗談交じりに『離婚問題に詳しい弁護士を教えてくれよ』と言われた人もいます」

 この知人らによれば、民間から嫁いだ信子さまは、皇室の環境に対してひどくストレスを抱えていたという。2004年の春には胃潰瘍などと診断され、ふたりそろっての公務はこの年の6月が最後になった。

 このとき、ご夫婦はすでに家庭内別居の状態にあった。

※週刊朝日 2012年6月22日号