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原発事故起こしたスリーマイル島・現地ルポ

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週刊朝日#原発

 ニューヨークからフリーウエーを飛ばして、車で約4時間。ペンシルベニアの州都ハリスバーグに入り、さらにサスケハナ川沿いの道を南下する。するとほどなく、テレビのニュースで見覚えのある、とっくり型の巨大な冷却塔の姿が、木立の間から現れた。

 スリーマイル島原子力発電所(TMI)。1979年3月28日、2号機がメルトダウン(炉心溶融)を起こした。その歴史的な建物が、数百メートル先の中州に屹立(きつりつ)しているのが見える。すぐそばの川沿いには、一般の民家が何軒か立ち並んでいる。32年前に放射性物質をまき散らした物騒な建物が、日常生活のこんなに間近に存在していることに、まず驚いた。しかも、1号機は今も運転中で、白い水蒸気を高々と上げている。

「私たちからすると、気がついたら建っていたという感じでした。当時、町の人たちは、いよいよ核の平和利用が始まったとエキサイトしていました。でも本当は、原子炉がどんなふうに動いているのかさえ、誰一人として知らなかったんです」

 TMIから3マイル(約4・8キロ)しか離れていない小さな町・ロンドンデリーで、緊急災害対策コーディネーターを務めるサム・ネイプルズさんが、事故当時のことを話してくれた。

 現地の人たちが口々に言っていたが、TMIの周辺地域は、確かにフクシマと似ている。主要な産業は農業と観光で、サスケハナ川沿いには、広々とした農地や牧場が広がる。政府や企業の言葉を疑わない、そんな土地柄だからこそ、原発の建設地に選ばれたと言うのだ。

 州都ハリスバーグという地名を聞くと、米国人の多くは近くにチョコレートで有名なハーシーの創業地があることを思い浮かべるそうだ。南北戦争の決戦地ゲティズバーグの古戦場や、電気を使わない伝統的な生活を守り続けているアーミッシュの村を見学に訪れる人も多い。

◆日常は戻ったが、町は変わった◆

 ところが事故後は、こんな牧歌的な地域が、「ジョークのオチに使われるような場所になってしまった」(原発監視団体・TMIアラート代表のエリック・エプスタインさん)

 ネイプルズさんも言う。

「遠方に住む友人が、『TMIの近くの魚は、夜光るらしいな』と言うから、『じゃあ、電気を消してみようか、おれも光るかもしれない』って、冗談を言ったこともありますよ」

 32年前、26歳だったネイプルズさんは、ロンドンデリーの消防士だった。事故発生から3日目、半径5マイル(約8キロ)以内に住む妊婦と幼児に避難勧告が出されると、現地の人たちは見えない放射能の恐怖で大混乱に陥った。「避難せよ」と言われても、どの方向に避難すれば安全なのかわからない。ふだん通行量の少ない道路に車が殺到し、事故を起こした住民もいたという。

 家畜をどう扱えばいいかわからなかったことも、混乱に拍車をかけたとネイプルズさんは言う。酪農家の家畜に対する愛情の深さは、ペンシルベニアもフクシマも同じだった。

「100頭の羊を飼っていた酪農家がいました。彼に避難するように伝えに行ったら、ショットガンを突き付けられ、『動物と一緒じゃないと動かない』と言われました。家畜が心配で残った人は少なくありません。もちろん、大半の人は避難し、牛を遠方に送った人もいましたが、取り残されて死んだ家畜もたくさんいました」

 ネイプルズさんも、両親とともに町に残った組だ。留守中に泥棒が入ることを恐れたからだ。自分たちの家族と財産は、自分たちで守るというのが、保守的な米国人の考えだ。避難せずに残った人たちの中には、強盗が入るのを恐れて、武器を買った人も多かったそうだ。

 ただし、不幸中の幸いで、危機的状況は長くは続かなかった。10日目の4月6日、ペンシルベニア州知事が終息宣言を出し、ほとんどの住民が自宅に戻ることができた。町には、日常の暮らしが戻ったが、「町の雰囲気はすっかり変わってしまった」とネイプルズさんは言う。

 さまざまなうわさが、人びとの口にのぼった。

「口の中で鉛の味がした」

「奇形の牛が次々に生まれている」

「ミルクの味が変わってしまった」

 ネイプルズさん自身も事故から数日間、いつもと水の味が違うと感じたことがあったという。

「でも、それらが放射能の影響かどうかは、科学的に証明されてないですよね。みんな放射能を恐れてすごく混乱していたので、個人的には心理的な影響が大きかったのではないかと思っています。私たち消防士も、原発事故など初めてのことで、どうしたらいいかわからず、とてもストレスを感じていました」

 ただ、ネイプルズさんも、事故後、がんになる人や流産する人が多かった印象を持っている。嘔吐(おうと)や紅斑(皮膚の一部が赤くなること)、脱毛などの症状を訴える人も多かったと言われている。彼の父親も、事故後にさまざまな健康問題を抱えることになり、事故から4年後の1983年に亡くなった。

 TMIの事故による周辺住民の健康への影響については、コロンビア大学のチームが事故前後の75年から85年までの、地区住民の死亡率を比較する調査を実施している。

 同チームは調査データを分析し、一時的にがんの発生率は増加したものの、事故による被曝(ひばく)との関連は認められず、精神的ストレスによるものだろうと結論づけた。

 しかし、これに疑問を抱いたノースカロライナ大学のスティーブ・ウイング博士らが、コロンビア大学の調査データを再分析した。

 その結果、ウイング博士らは、半径10マイル(約16キロ)圏内のがんの発生率は、被曝量が多いと想定される地域ほど増加しており、企業や政府当局が見積もったよりもはるかに多量の被曝があったのではないかと推定した。

 いまも周辺地域の放射線量のモニターを続けているTMIアラート代表のエプスタインさんは、ウイング博士らの論文をもとに作成された、TMIから10マイル圏内の推定放射線量とがん発生率の関係を示す、マップを見せながらこう言った。

「事故が起きたとき、空気中に放出された放射線量は、実は正確にはわかっていません。州政府は『健康被害はない』と言っていますが、調査の方法論が間違っているという指摘もあります。私たちは、ウイング博士らのほうが正しいのではないかと考えています」

◆「原発のせいだ」と思いたくなる◆

 その一方で、がんが増えたとするウイング博士らの分析結果は信用できないとする声もある。原発から20マイル(約32キロ)離れたところにあるディキンソン大学の元教授で、物理学者のジョン・ルツェルシュワブさんは、こう言う。

「がんが発症するまでには、20年はかかります。この調査は事故後6年までのデータしかなく、それで結論を出すのは早すぎます。多くの人が、何かあると事故と結び付けたがりますが、心理的な影響も大きいのではないでしょうか」

 ルツェルシュワブさんは事故当時、原発から西2マイル(約3・2キロ)のところに住んでいた。放射性物質放出のニュースを聞いた彼はすぐ、同僚とともに土壌や雨水に含まれる放射性物質の測定にとりかかった。なぜ測定ができたかというと、当時は米国、ソ連、中国の核実験で放出された放射性物質を検出する研究に取り組んでいたからだ。

 いくつかの地点で採取したサンプルを測定したところ、事故当日に採取した自宅の庭の土から、核燃料が分裂して生成する放射性物質のひとつであるキセノン(Xe133とXe135)が検出された。ただし、その量は多いものではなかった。

 また、もう一つの代表的な核分裂生成物であるヨウ素(I131)は検出されなかった。この結果を見て、ルツェルシュワブさんは、放出された放射性物質は「問題ないレベル」と判断したという。

「多くの人が避難して、町は廃虚のようになりました。でも、私の家族は避難しませんでした。それから03年までの24年間、私たちは2マイル地点に住んでいましたが、がんになると心配したことはありません。今、がんになったとしても、原発のせいだとは思わないでしょう」

 ルツェルシュワブさんは科学者らしい冷静さで、当時を振り返ってくれた。

 02年にはピッツバーグ大学のグループが、TMI周辺地域の住民を98年まで追跡し、がんの発生率が増加する傾向は見られなかったとする調査結果を報告している。だが、周辺住民の多くが、彼のように冷静に受け止めているわけではない。

 ネイプルズさんも事故後、妻が初めて身ごもった双子の子どもの一人を死産で失い、健康被害を訴える集団訴訟に参加した経験を持つ。さらに昨年、妻も肺がんで亡くした。54歳という若さだった。

「事故の影響があったかどうかを証明することはできません。でも、このあたりはがんで亡くなる人が多くて......。どうしてもみんな原発のせいではないかと思いたくなってしまうのです」(ネイプルズさん)

 TMIの事故が残した爪痕は、がんの不安だけではなかった。事故の処理にかかった費用も大きかった。電力会社は2号機を廃炉にするため、放射能の除染作業や燃料取り出し、汚染水の処理などに10年かかり、約10億ドル(約810億円)を費やしたとされている。

 さらに、健康被害や収入減を訴える集団訴訟が相次ぎ、多額の補償金を支払った。TMIアラートの放射線量モニターシステムも、電力会社が支払った和解金で設置・運営されている。

 エプスタインさんが話す。

「電力会社は事故処理に、トータルで17億~19億ドル(約1400億~1500億円)支払ったと言われています。たった90日間しか営業運転しなかった原発のために、それだけのお金がかかってしまったのです。もちろん、その費用の多くは、私たちが支払う電気料金に上乗せされたお金で賄われていると思います」

 ただし、と彼はつけ加えた。

「フクシマから見ると、TMIは赤ちゃんです(TMI is a baby)」

 4基の廃炉が決定している福島第一原発の事故処理費用には、10年間で5・7兆円から20兆円かかると見積もられている。たしかに、TMIから見ると、フクシマは「モンスター」としか言いようがない。

 たった1基の原発事故のために、30年以上たってもTMIの周辺住民は、重いツケを背負わされていた。とはいえ、事故のことを知らない世代が増えているのも事実だ。ディキンソン大学教授で、米国文化史が専門のロナ・マルシャイマーさんは、こう話す。

「TMIの周辺住民の多くは事故のことを忘れてしまったと思う。むかしのことを忘れて、平和に暮らしている。これぞまさにアメリカ(It,s very America)。アメリカ人は、歴史の勉強が嫌いなのよ」

 とはいえ、事故を体験した人の中には、その記憶が確実に残っている。

「もうペンシルベニアには住めないのではないか」
 という恐怖が、人びとの中にあったとマルシャイマー教授は話す。事故から5日後、彼女は同僚や学生らと、周辺住民や関係者ら約400人にインタビューするプロジェクトを実施した。多くの人が原発や放射能に関する知識がなく、ヒロシマやナガサキのようなことが起こるのではないかと恐れていたという。

「当時は、それほどのことがあったのに、チェルノブイリやフクシマのような悪いことが起きないとスリーマイルのことを思い出さないのは皮肉なこと。ただ、スリーマイルを見て、フクシマと比べるのは危険です。フクシマは、すでにTMIを超えてしまっていますからね」

 TMIの事故は終息宣言までたった10日間だった。フクシマはTMIとは比べものにならないほどの大事故となり、フクシマの人たちは現実に、故郷喪失の危機に瀕(ひん)している。そのうえに、原発を許容してきた私たちはこれから一体、どれほどのツケを払わねばならないのか--胸の奥に重いものが残る旅だった。 <ジャーナリスト・鳥集徹、本誌・坂田一裕/協力・佐久間裕美子(在ニューヨーク)>

 

■スリーマイル島原発事故とは?■

 1979年3月28日、スリーマイル島原子力発電所の2号機で、機械の故障と操作ミスが重なり、原子炉内の冷却水が失われた。そのため、炉心の3分の2が露出してからだき状態となり、後に燃料棒の半分が原子炉の底に溶け落ちていたことが判明。これにともない、開きっぱなしとなった圧力弁から、放射性物質を含む冷却水が蒸気となって外部に流出した。
 米国の市民団体「エネルギー環境調査研究所(IEER)」は、福島第一原発の事故で放出された放射性物質の量を、スリーマイル島の14万~19万倍と推定している。また、スリーマイル島の事故による周辺住民の被曝線量は1ミリシーベルト以下で、健康に与える影響はほとんどないとされているが、がんの発生率や乳幼児死亡率が一時的に上昇したという報告もある。


週刊朝日


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