20日には最高裁が想定通り、沖縄県が申し立てた上告を退け、県の敗訴が確定した。この日、後藤謙次は「前知事が埋め立て承認をして以後、県民の意思は数々の選挙結果が示す通り、変化してきた。それを無視した判決だ。政府は真摯に沖縄と向き合い、来週ハワイで開かれる日米首脳会談でも沖縄の気持ちを伝え、事態の改善に取り組むべきだ」と述べ、河野憲治は「基地の負担をどうすれば軽減できるか、それを考える視点がいまの課題」とした。この発言はいいとして、目に余ったのは、この日の「ニュースウオッチ9」が、「もう地獄です」と訴える県民と、「基地がなくてはこの地域の繁栄はない」と語る店主の声を、両論併記で伝えたことだ。この時期、この編集は陳腐に過ぎた。

 次いで22日には、米軍の北部訓練場の一部返還が実現し、それを祝う式典とオスプレイの配備撤回を求める集会の2つの会合が開かれ、翁長知事は式典に欠席、集会には出席した。河野憲治はこの日、返還の条件として作られた6つのヘリパッドに囲まれた東村を訪ね、せっかくの返還が、かえって国と県の溝を深めているのはなぜかを取材した。

 このなかで最も興味深く聞いたのは、東村高江の仲嶺久美子区長の話と、現地記者の解説だ。このことから2つのことを痛感した。1つはキャスターが現場を踏むことの重みである。例えば仲嶺区長へのインタビューは、他のニュースでも試みていた。だがキャスターが現地で聞くのとそうでないのとでは、響くもの、説得力が全く違う。キャスターが自分の言葉でニュースを伝える存在である以上、現場を踏むことはいわば責務と言える。ところが12月、メインのキャスターで沖縄を訪ねたのは、この河野憲治と「報道特集」(TBS)の金平茂紀だけだった。これはあまりに残念だ。そしてもう1つは、現地の事情を知り尽くした記者起用の強味である。沖縄に系列局があれば、そこには記者がいる。それなのに彼らにあまり活躍の場を与えないのはなぜなのか。現地を知る記者の起用にもっと積極的であってほしい。沖縄をめぐる2016年12月のテレビのニュース報道は、そうしたことを改めて考えさせた。

辻一郎(つじ・いちろう)/ジャーナリスト。元毎日放送取締役報道局長、大手前大学教授など。「対話1972」「20世紀の映像」でギャラクシー賞、「若い広場」「70年への対話」で民間放送連盟賞などを受賞。著書に『私だけの放送史』など。
※『GALAC(ぎゃらく) 3月号』より