松蔭女子学院大(85年、92年)は神戸松蔭女子学院大、聖路加看護大(87年)は聖路加国際大に校名を変更した。地域名を強調する、グローバル化を訴える大学の戦略だ。

 東京都立大(86年)は掲載時はこの校名だったが、2005年に複数の大学と統合して首都大学東京となった。しかし、20年に先祖返りして東京都立大に戻った。校名変更では時の東京都知事に振り回された大学だ。

大阪市立大(1986年、2016年)は大阪府立大と統合して、22年に大阪公立大となっている。

 共立薬科大(1983年)は慶應義塾大と統合し、いま、この校名の大学は存在しない。2008年、慶應義塾大薬学部に生まれ変わった。

■「週刊朝日」表紙にも反映された“短大離れ”

「週刊朝日」の表紙を飾った女子大生は約260人にのぼり、このうち短大生が約40人いた。2人以上登場したのが青山学院女子短期大、大妻女子大学短期大学部、女子美術短期大、目白学園女子短期大、立教女学院短期大、武庫川女子短期大だ。

 青山学院女子短期大は、短期大学として上智短期大、学習院女子短期大と並んで人気が高く、代々木ゼミナールの偏差値では60を超すなど難易度が高かった。

 人気の秘密は就職実績にあった。1983年の青山学院女子短期大の就職先は、東京海上火災46人、三井物産44人、三菱商事33人、住友商事25人、丸紅22人と錚々たる企業が並んでいた(「週刊サンケイ」83年4月27日号 社名は当時)。

 ところが、表紙に短大生が多く見られたのは1990年代前半までで、2000年以降、その姿を見ることは少なくなった。女子学生の四年制大学志向の高まり、そして少子化によって、短大離れが起こったからである。それは「週刊朝日」にも反映された。

 表紙の短大生について、彼女たちが通っていた短期大学の多くは募集停止となり、その姿を見ることができない。すべて紹介しよう。

日本の大学史、「週刊朝日」史に、その名をしっかりとどめておきたい。

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