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ヤクルト、際立つ「選手再生」の上手さ 野村監督時代から今も続く“お家芸”の歴史

菊田康彦dot.
ヤクルト時代の吉井理人 (c)朝日新聞社

ヤクルト時代の吉井理人 (c)朝日新聞社

「パ・リーグを知ってる選手がけっこう多いので、ウチは。いろんな思いがある選手もたくさんいるでしょうし、そういう見方をしても面白いんじゃないですか。(交流戦を)楽しみにしてます」

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 2年ぶりに開催されるセ・パ交流戦を目前に控え、そう話したのはヤクルトの高津臣吾監督である。確かにヤクルトには、一部のファンから「パリコレ(パ・リーグコレクションの意)」と言われるほど、パ・リーグ経験者が多い。

 交流戦が開幕した5月25日現在の一軍メンバーでいえば、投手で今野龍太(前楽天)、近藤弘樹(前楽天)、リック・バンデンハーク(前ソフトバンク)、野手では嶋基宏(前楽天)、内川聖一(前ソフトバンク)と5人を数え、さらにファームには投手の高梨裕稔(前日本ハム)、長谷川宙輝(前ソフトバンク)、宮台康平(前日本ハム)、小澤怜史(前ソフトバンク、育成)、野手の太田賢吾(前日本ハム)、坂口智隆(前オリックス)と、パ・リーグ球団に在籍していた選手が6人いる。ヤクルトの選手は支配下、育成合わせて73名なので、実に15%が元パ・リーグということだ。

 中には高梨と太田のようなトレード組もいるが、大半は前の所属球団を自由契約となった選手。もっとも、ヤクルトには古くから他球団でくすぶっていた選手や、お払い箱になった選手を獲得しては、戦力として活用してきた伝統がある。そう、「ヤクルト再生工場」である。

 そのルーツは、野村克也監督が指揮を執っていた1990年代に遡る。もちろん、それ以前にもそうした選手がいなかったわけではない。ただし「再生工場」というフレーズが使われるようになったのは、 野村監督の時代だ。

 もともとは「ヤクルト─」ではなく「野村再生工場」だった。野村監督には捕手兼任監督だった南海(現在のソフトバンク)時代にも、他球団から獲得した選手を“再生”した実績があったからだ。たとえば東映(現在の日本ハム)での0勝から、南海に移籍していきなり16勝を挙げた江本孟紀。巨人では8勝が最多ながら、南海1年目に20勝を達成した山内新一。阪神時代は大エースとして君臨も、南海移籍後は血行障害や心臓疾患などで先発としてカベに当たり、野村監督に口説かれて抑えに転向して最優秀救援投手に輝いた江夏豊も、その部類に入る。


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