両親は離婚と再婚を繰り返した。結局、母親は他の男性と再婚する形でサノ氏が小学2年のときに“蒸発”。残されたサノ氏は父親のもとで幼少期を過ごした。

「父はアルコールとギャンブルに溺れるダメ人間でしたが、心根は優しくて、決して僕を手放そうとはしなかった。それは今でも感謝しています」(サノ氏)

 とはいえ、父親との生活は常軌を逸するものだった。

 格闘漫画「グラップラー刃牙(バキ)」に感化されるあまり、「世界最強の子」を育てようと、近所の子供にサノ氏とケンカするよう申し入れていた。

 また、ある時は父のナンパの手伝いに駆り出された。「カラオケボックスで女性客の部屋に間違えて入る」という役目を与えられ、ナンパの手助けを通して行動力を磨いていった。

 父親はリサイクルショップを経営していたが、商売は下手だった。ギャンブルに明け暮れて数百万円の借金を背負うことになった父親は、一念発起して店の「改革」に着手。男性客を取り込もうとアダルトビデオの販売を主力とすることを思いつき、リサイクル品の家具に収納する形で、アダルトビデオを陳列するという大胆すぎる戦略をとった。結果的に、お得意さんだった主婦層が離れていき、たちまち経営不振に陥った。次第に家賃も払えなくなり、父子で飼い犬のドッグフードにお湯をかけて飢えをしのぐこともあった。

 実家が全焼したのは、そんな時だった。サノ氏はコツコツとためていた貯金箱が丸焦げになったことで、ひどく落ち込んだ。全財産を失った息子を思いやってか、なぜか父が、その貯金箱を数千円で買い取ってくれた。だが実は、父親は貯金箱の中身は無事だと知っており、サノ氏のお年玉や小遣いが詰まった約9万円分の中身を出して、パチンコ店へ直行した。

「あまりの大人げなさにあっけにとられました。でも、子どもから強権的にお金を取り上げるのではなく、“交渉”という手段を踏むことについては学びがありました。『人も物も、見た目だけで判断するな。中身を確認しないと、本当の価値はわからない』という父の言葉は今でも教訓となっています」(サノ氏)

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大学時代はホスト、そして京大院へ