第16回 石田三成の事例 ―小説「巨なる企て」となる 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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第16回 石田三成の事例 ―小説「巨なる企て」となる

文・堺屋太一

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1940(昭和15)年に計画された「紀元2600年」記念万国博」の予想図(朝日新聞社蔵) (c)朝日新聞社

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「偉くない人が創る大事業」として、豊臣秀吉に仕えた石田三成の例を挙げた。

 実際、この時(1964年)、石田三成に興味を持って本格的に調査したことが、後に役立った。

 豊臣秀吉が死んだ慶長3(1598)年旧暦8月18日から関ケ原の合戦が行われる同5(1600)年9月15日まで22ケ月(慶長4年には閏3月がある)。750日ほどの間、石田三成がどこにいたか、ほとんど確定することができた。そしてそれから、この人物が何を考え何を企て誰を誘ったかも大体分かった。

 私は後年、この時の調査に基づいた歴史小説「巨いなる企て」(上下‐毎日新聞社)を書いた。30版を重ねた大ベストセラーだが、ここでのテーマは石田三成の関ケ原合戦をプロデュースするまでの企画と推進である。従ってこの小説は、関ケ原合戦のはじまる寸前で終る。

 万国博の開会式を迎えた瞬間に「仕掛け人」としての私の役目は終ったのである。

(週刊朝日2014年11月14日号「堺屋太一が見た戦後ニッポン70年」連載16に連動)


(更新 2014/11/ 4 )


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プロフィール

堺屋太一(さかいや・たいち)

 1935年生まれ。本名は池口小太郎。60年に通商産業省に入省し、大阪万博をプロデュース。退官後は作家・経済評論家として活躍。経済企画庁長官を務め、現在は内閣官房参与。主な著書に『団塊の世代』(文春文庫)、『平成三十年』(朝日文庫)など

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